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真面目部下×女からも男からももてる上司(既婚)

「さて時間だな。天羽、今日は珍しく定時上がりだし、どっか寄ってかないか?」
「あら、いいなぁ。天羽君。部長ぉ、たまには私達も誘ってくださいよ~」
「まあ、また今度な」
「きっとですよ?」
 ころころと笑う女達のかしましい声を軽くいなしながら、その存在私の隣にやって来る。
「もう終業時間だぞ? 真面目なのはいいが、真面目過ぎるのもな?」
 私に対して気安い態度で肩を叩くのは、一人しかいない。書きかけのレポートから目を離さず
微かに溜息を漏らした私は、気を取り直して表情を取り繕うと、肩越しに上司の顔を見遣った。
「いえ……。私はまだ仕事が残っていますので」
「ん? 何かあったか」
「明日の会議の資料を纏めなければなりませんので」
 この人は何が面白いのか、何かにつけ私を引っ張り出そうとする。無愛想で無口、趣味は仕事
の私を相手してよくも飽きないものだ。証拠を見せれば、流石に引き下がるだろう。
 ……と、思った私が甘かった。
「どれどれ……ああ、これなら手分けしてやった方が早いだろう。そっちの資料を貸せ」
「いえ、私の仕事ですから……お気になさらず」
「なーに水臭い事言ってるやら。さっさとやって帰ろう」
 朗らかに笑う部長の顔に、私は何も言い出せず、言いなりのまま資料を差し出した。

 気配り上手で明るい性格。性格に見合う優しい笑顔の美丈夫とくれば、まあ、女だって放って
おく訳もなく。部長の左手の薬指の指輪が、彼が既婚者だと存在感をアピールしている。確か、
秘書課の当時のナンバーワンの美女とゴールインの末、彼女は寿退社したのだとか。そんな武勇伝
を持つ彼だが、未だその人気衰えず、で。
 ……私は正直、そんな彼の存在を疎ましく感じていた。

 流石に二人でやれば仕事は進むもので。ほどなくして私の分の資料纏めは完了してしまった。
「天羽、そっちはどれぐらい進んだ?」
「後はチェックするだけです。部長はいかがですか?」
「俺もだ。じゃあ、さっさとコピーして帰るか」
 流石は十年選手だけあって、課長は私よりも短時間で纏め上げてしまったようだ。こういう時だけ
は、素直に感服する。
「お疲れ様でした。わざわざお手間を掛けまして、申し訳ありません」
「馬鹿だねぇお前。そういう時はありがとうって言うんだぞ」
 頭を下げる私に、まるで子供にでもするように、頭を撫でる。ひどく反発心を覚え、その手を
振り払いたくなるがぐっと我慢する。
「ありがとう、ございます」
 心底可笑しそうに、笑いを堪える部長の様子に余計に苛立って、私はぐっと拳を握り締めた。
 悔しいのだろうか? 照れくさいのか? ……分からない。
 私は私の心が、分からない。
 私はおかしい。この人を相手にすると、ふとした瞬間に思いもよらぬ感情が浮かぶのだ。誰を相手
にしても、こんな風に気を損ねたり、わずらわしい思いなど浮かばないのに。

「さて、今度こそ飯でも食って帰るか。そろそろ暖かくなってきたし、蕎麦なんてどうだ?」
 帰り道。街道の桜はもう散り際で、街灯の明かりにはらはらと舞う花びらが風の中でくるりと輪を
描く。
「遅くなりますし、お帰りになられては?」
 家に。あなたの帰りを待つ人の場所に。部下など構う暇があれば、それが自然ではないのだろうか。
「はは、どうせあいつなら今頃近所の奥様達と優雅にフレンチでも食べに行ってるだろうさ。俺だって
仲間と飯食ってってもいいだろう、たまには」
 暖かくなってきたとはいえ、まだ夜風は冷たい。コートの襟を立てた私は、どんな顔をすればいいのか
分からないままとりあえず前を向いて。
「……鰻重でも、問題ないくらいですね」
 珍しく、そんな軽口を叩いていた。
「はは、全くだ。今度は鰻の美味い店にでも行くか」
 さりげなく肩を叩く彼は、気づいているだろうか。気安く私のテリトリーに入り込むあなたは特別なの
だと。
 触れ合いそうな程近く、並んで歩く桜並木は、ひどく甘い香りがして。くらくらと酔いそうな気分
だから、今はあなたのわがままを許してあげよう。
 だが、気づいているだろうか?
 ……知らぬうちに、私とあなたの距離は、体だけでなく、こんなにも近づいているのだということを。