思い詰めて気が狂いそう

「どこに行くの?」
玄関で靴を履きかけていた俺は、体を強張らせた。
部屋で執筆をしていたはずの彼がいつの間にか俺の背後にいた。
「どこに行こうとしてたの? 僕に黙って」
こういう時の彼の様子は鬼気迫るものがある。
俺は無理やり笑顔を作って説明した。
「……料理の本を見ていたら作りたくなったレシピがあったんだ。
足りないものを買いに行こうと思って。それだけだよ」
「冷蔵庫にあるもので作ればいいじゃない。聡の作るものなら
僕はなんでもいいから」
その言葉は嘘じゃないのはわかっている。
この間はストレスのたまった俺が作った
火の通っていない固いパスタを文句も言わずに食べていた。

作家としての彼は世間で名が知られていて、印税でしばらく生活できるだけの財力がある。
俺は彼の秘書だ。
愛想がなく営業成績の悪い俺は、リストラで路頭に迷っている所を元同級生の彼に拾われた。
執筆以外の雑用をするために雇われている。
……はずだった。
今は雇われているとは言えない。
確かに金はすべて彼から出ているが、俺と彼の間にあるのは雇用じゃない。
執着だ。

「宅配ばかりだし買い物ぐらい……」
「行かないで。必要なものなら言って。ネットで買うから」
「蒼。そんなに思い詰めないで。俺は出て行ったりしないから」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ」
「この間も僕に黙って出て行って、三十分も戻ってこなかった」
「仕事だよ。編集さんが近くまで来ていたから資料を受け取りに駅まで行った。
それだけだよ」
「そんなの聡が行く必要なんかない。届けさせればいいんだ」
「俺の方が暇なんだから少しぐらい」
「ダメだ!」
蒼が近くにある物に手を出しそうな気配を感じて、俺は外出をあきらめた。
この間も俺が家に帰ってきたら、室内が散々な状態になっていたからだ。
もう少しで泥棒が入ったと警察に電話をする所だった。
いつから彼はこんな風になってしまったんだろう。
「どうして俺のことが信じられないの? 愛してるって言っているのに」
「聡が僕のことなんか愛してくれる訳ない」
「そんなことないよ。俺は蒼の才能を愛してる。こんな蒼の弱さも好きだ」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
腕の中にいる彼が落ち着いていくのが伝わる。
何度も呪文のようにいう。好きだよ。愛しているよ。
そう言うと彼が安心するから。
「聡。僕から離れていかないで」
「いかないよ」
「もう気が狂いそう……」
もうとっくにこの関係は狂っているよ。
だがその言葉が俺の口から出ることはなかった。


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最終更新:2009年03月29日 15:14