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火曜サスペンス劇場

眼下で海原がとぐろを巻いているように見える。波の砕ける音が耳にまとわりつく。
振り向けば、音を消し赤色灯だけを回し続けるパトカーが、ひしめいているはずだ。
そうして、自分のすぐ後ろには恐らくあの人が立っている。はじめて会ったときと同じ、
笑えてしまう程型通りの姿で。彼はきっとトレンチコートを着てその襟を立て、俺の後姿
を見据えているのだろう。舞台は過剰なほどに整っている。
あとはおもむろに、自白すればいいんだ。途中言葉に詰まってしまっても、彼は憐憫の
情をその顔にくっつけ、ゆっくりと頷いてくれるに違いない。
「あの人が憎かった。こうする以外どうしようもなかったんだ。」そんな風に切り出して、
すべてを話し終れば、きっと自分は彼に厳しさと優しさの混じった言葉をかけられる。
それを受けて俺は、諦念と悔悟の混じった笑顔を浮かべ、一筋涙を流してみせる。
泣き崩れるのもまた一興かも知れない。そして、両手を差し出す。
最後には二人して静かにパトカーの方に歩み出し、このドラマは収束する。
こんな断崖絶壁の、淵の淵まで追い詰められれば、もうどうしようもない。
求められる団円は、俺が自白の言葉を口にした瞬間からはじまってゆくんだろう。
ゆっくりと、振り返る。目に入った彼は、想像通りトレンチコートを着て、あろうことか
ハンチング帽まで被っていた。笑ってしまいそうになる。型どおりの端正さがおかしくて、
――それ以上に、悲しかった。
このままこのセオリーにのっとって、本当のことを押し殺すのは嫌だと、強烈にそんな
思いが襲ってくる。
俺はとっさに、ただの一言もなく、揃えた両手を彼に向かって差し出していた。型通りの刑事と型通りの犯人、型通りの結末。そんなものに嵌り込んでしまうのはたえられない。
そんな思いに、気がつけば突き動かされている。
予期していなかったのであろう俺の行動に、目の前の男の、作り込まれた表情が変わった。
波の音に、吹き付ける強い風に、消されぬよう、出来るだけ声を張る。
「あなたのことが好きだった――」
何度も言葉を交わし、追われ、詮索され、容赦なく心の深いところまで潜り込まれる。
やがて追い詰められて、寝ても覚めても考えるようになる。
好きになっていた。穏やかなまなざしも、喋り口調も、一挙手一投足まで、いつの間にか。
吹き付ける強い風が目に染みる。だけど、目を閉じたくなかった。
彼から、もう一瞬も目をそらしたくなかった。
円満な収束をぶちこわす、俺の言葉を聞いて強ばった彼の表情は、意外にもすぐ、弛んだ。
そのことに驚いていると、彼は不意にぽんとハンチング帽を取って投げ、流れるような
挙動でコートを脱いでしまう。そうやって、突然一気にセオリーから抜け出てきた彼は、
両手を差し出したまま立ちつくす俺の手に、スーツの懐から取り出した手錠を掛けた。
ひやりと重い感触が襲ってきたのは、右手だけだった。片方の環は、まだ彼の手にある。
訳がわからず、何を言っていいのかもわからず、ただ、息をのむ俺に、
「……行こうか」
静かな声で彼はそう言い、自分の左手首に目を落とした。
俺の言葉を待たずに、ガチャリと鈍い音がして、手錠は彼の左手と自分の右手を、繋いだ。
その瞬間彼が見せた、今まで見たことのない笑い顔が、一気に目に、脳裏に焼き付く。
――それが彼の、俺の自白に対する答えなんだろう。
この何ヶ月か、必死にかわそうとする俺を、死にものぐるいで追いかけ続けてきた、彼の。
どこに?そんな事はきかなくてもわかる。ただ、一心に頷いていた。
涙が出るのは、たまらなく嬉しいから――それだけだ。
パトカーの周りの人垣が、崩れるようにこちらに押し寄せてくるより、淵から足が離れて
しまう方が、わずかにはやかった。