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うなじ舐め

「着物ってのは日本の文化の至高だと思うね」
ぐぃ、と日本酒を呷ると、金髪碧眼の男が言った。
彼の目線は、向かいに座る、黒髪の青年に向けられている。
「これは浴衣ですけどね」
何故、情感たっぷりの旅館の一室で男同士で酒を呑まなきゃいけないのか、と彼は溜め息をついた。
目の前の、傲岸不遜厚顔無恥、という言葉がぴったりなこの男に、強引に連れてこられてしまったが、別に僕じゃなくても。
大学には、こいつに誘われたら何処へでも、なんて女の子がいっぱいいるのに。
まぁ、確かにこんな高級な旅館、彼に連れてこられなかったら一生泊まることなんて出来なかっただろうけど。
和紙で出来た丸いランプの、柔らかい光が、ほのかに室内を照らす。
窓から見える庭も、趣があって素敵だ。
「浴衣だって着る物、着物だろう、キク」
「キクはやめてください」
質問には答えず、彼は眉を顰めた。
黒髪の青年は名を菊という。女みたいな名前が嫌で他人には名字で呼ばせているのに、この一年先輩の留学生だけは、何度言ってもキクと呼ぶのをやめない。
「しかしお前、本当に似合うな」
彼はまた菊を眺めると、旨そうに酒を呷った。最高の酒の肴だ、とでもいうように。
無遠慮な彼の視線に、菊は落ち着かない。
「黒髪と白い肌に良く合ってて神秘的だ。綺麗だ。」
「神秘的って」
菊は呆れて彼を見た。不断あれだけ喋ったり巫山戯たりしているのに、神秘的はないだろう。男に綺麗だもどうかと思うが。
「なんだ文句があるのか」
「いいえ」
菊は澄まして答えた。酔っ払いに絡まれては堪らない。
本格的に酔う前に、そろそろ酒を取り上げなくては。
「…アル、あまり呑み過ぎると温泉に入れませんよ」
「なに、温泉」
「そうです、酔ってお湯に入るのは危険です。このまま呑むなら、貴方は折角の、温泉に入るチャンスを逃してしまいます」
菊の作戦は効いた。彼は即座にお猪口を机に置くとすくっ、と立ち上がった。
「キク、温泉に行くぞ」
「え、でも僕はさっき」
「いいから行くぞ」
この旅館に来た時と同じく強引に腕を掴まれる。
流されやすい彼は、戸惑いながらも結局もう一風呂浴びてしまった。
満足そうな彼を見て、菊はげんなりする。こんなヤツ湯中りしてしまえばよかったのに。
部屋に戻ると、既に布団が敷いてあった。
それはいいのだが、何故か縁をぴったりくっつけてある。
どうやら、ここの仲居さんには酷い誤解をされてしまったようだ。
菊は暗澹たる思いで、二つを離す。
「どうした」
後から部屋に入ってきたアルが、そんな菊に、不思議そうに尋ねた。
「…なんでも」
「そうか」
アルはあっさり頷いて畳に上がった。
「キク、もう一杯呑むぞ」
「まだ呑むんですか」
菊は驚いて目を見開いた。やっと眠れると思っていたのに。
「あと一杯だけな」
アルは既に冷蔵庫からビールの缶を二本、取り出していた。
菊は仕方なく受けとって、ちびちびと舐めるように味わう。
対照的に、アルは、先ほども結構な量を呑んでいたとは感じさせない呑みっぷりだ。
菊は、酒を呑めるから偉い訳ではない、と思いながらもなんだか情けなくなって彼に背を向けた。
アルはかなりのピッチで呑んでいる。
一杯だけ、といいながらもう二杯目である。
さすがに、彼もかなり酒が頭にまわってきていた。
ぼうっとした頭で、菊を眺める。
アルはこの一歳年下の彼を気に入っていた。
礼儀正しく温和で、手触りのいいさらさらした美しい黒髪と、宝石のように輝く瞳。
まさにアルの思い描いていた、理想的な日本人だ。
彼の浴衣姿はまさしく眼福であった。それだけでいくらでも酒が呑める。
特に、俯き加減に向けた背中の、襟から覗く白い肌。
ほっそりとしたうなじは、湯上がりと酒のため、ほんのり桜色に染まっている。
照明の影響もあるのだろうか、菊はただそこにいるだけなのに、いやに艶かしく、煽情的だった。
アルは花の香に吸い寄せられる蝶のように、ふらふらと菊に近付いた。
背後にしゃがみこむと、肩に手を置く。
次の瞬間、彼は予期せぬ行動に出た。

ぺろり。
「ひっ!」
菊は総毛立だった。
うそ、ちょっとまて、今、僕、所謂貞操の危機!
一瞬気が遠くなった。
もがいて抵抗しようとするが、強い力で抱きすくめられ、逃れることが出来ない。
その間も、アルは菊のうなじに舌を這わせる。
「ぁっ…」
菊も、段々妙な気分になってきていた。
理性はこのままじゃヤバい、絶対ヤバいと言っているが、ただでさえ弱い酒を呑んだあとだ。早くも陥落寸前である。

しかしアルは、胸に手を差し込むと、その動きを止めた。
「…ア、アル…?」
恐る恐る後ろを振り向くと、彼は健やかに寝息を立てていた。

菊はそれはもう、それはもう安堵した。
良かった、助かった…!!
しかし、同時に、それを少し残念だったかな、とも思う自分がいることに気がついて、彼はまた気が遠くなるのだった。