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ハンター

 家業を継ぐことになった。
 そう言って、沢崎さんはコップに半分ほど残っていた安酒を飲み干した。
 あまりに唐突な発言に、僕は一瞬目の前が白くなった。
「いつ、実家に戻るんですか」
「今夜の夜行。11時」
 バスターミナルは、店をでてすぐのところにある。
 要するに、バスの発車までの時間をもてあまして僕を呼び出したのだろう。
 足元には、ドラム型のスポーツバッグ。
「荷物、それだけなんですか?」
「もともと、大したもんはないから、あとは処分する。
 ごみ屋に連絡しておいたから、明日の昼前にはきれいさっぱり片付いてるだろ」
 枝豆とコップ酒のおかわりを注文すると、「ちょっとションベン」と彼は店の奥に消えた。
 こんなにあっけなくいなくなるなんて、想像もできなかった。
 ふだんはぐうたらなくせに、本気になった彼には手に入れられないものはない。
 女の子も、高価なオーディオセットも、車も。
 いつの間にか、相手をうまく言いくるめたり、割のいいバイトを見つけたりして、彼は欲しいものを自分のものにしていた。
 実家はずいぶんと田舎にあるらしく、あんなところで暮らせるか、都会のめまぐるしい刺激がなくてはすぐに腐っちまう、なんて言っていたのに。
 いったいどういう風の吹き回しですか、だなんて、でも、僕には言えない。
 僕は、欲しいと思ったものは必ず手に入れられない星回りの人間だからだ。
 このどうしようもない自堕落な人間に惚れたなんて、馬鹿馬鹿しくて、沢崎さんはたちの悪い冗談とさえ受け取らないだろう。
 僕の気持ちも知らないで、ぬれた手をひらひらさせながら戻ってきた沢崎さんは、手をぬぐいついでにお絞りでわしゃわしゃと顔をこすった。
「お前、いつかオレのギター見て、うらやましいって言ったことあったろ」
「ありましたね。弾けるようにはなったんですか?」
「いや。カナがギターが弾ける男がかっこいいって言うから買っただけだし。
 カナとはあのあとすぐ別れたから、練習する気にもならなかった」
 彼が興味をなくしたものは、彼の手元からあっさりと消えていく。今彼が持っていないということは、もうあのギブソンもお役御免になって久しいのだろう。だれか、いい人の手に渡っているといい。


 コトン、と小さな音を立てて、沢崎さんの左手がテーブルの上に何かを落とした。
 薄暗い居酒屋の電球の明かりをはじき返す小さな金属片。鍵だった。
「部屋にある。今夜のうちに、持って行けよお前。好きなんだろ」
「……はい。好きです」
 その一言が、言った自分ののどを、焼くように苛んだ。
 僕は努めてなんでもない風に、他の言葉を捜した。
「でも沢崎さん、なんで今まで持ってたんですか? カナちゃんのこと、そんなに忘れられなかった?」
 彼がカナという女子大生――英文学科とか言っていた。そのわりに、シェイクスピアの一節も暗誦できないバカ女だった――と別れたのは、ずいぶん前のことだ。
その後も、彼の恋愛遍歴は華々しかった。
「ばーか。あんなのはどうでもいいんだよ。ただ、オレはお前があの時――」
 沢崎さんは急に苦虫を噛み潰したような顔になって、言いさした口をつぐんだ。
「つべこべいうなよ。要るなら持ってけ。要らないなら、ごみ屋が持っていくだけだ」
「はい」
 支払いを済ませて店を出ると――送別会なんだからおごれよ、と沢崎さんはさっさと先に外に出てしまっていた――、春先の冷たい夜気が身にしみた。
バスターミナルから迫害され、締め出しを食らったようなさびしい裏手にある喫煙コーナーで、沢崎さんはいつものキャビンを吸っていた。車内はどうせ禁煙だろうから、吸いためているのだろう。
「沢崎さん」
 呼びかけると、ん、とこちらを振り向いた。
「ご実家の家業は、なんですか」
「猟師」
 絶句した。こんなちゃらんぽらんに勤まるんだろうか。でも、一方でぴったりだという気もした。
「遊びに来いよ、そのうち」
「はい。熊カレー、食わしてくださいね。今度は沢崎さんのオゴリで」
 いいぜ、と請合った沢崎さんのにやりと笑う口元だけが、タバコの火に浮かんで見えた。
 僕はスプリングコートのポケットの中で、彼の部屋の鍵をぎゅっと握り締めた。