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海の底

ひい爺さんが死んで3ヶ月。
俺はチャーターしたクルーザーで沖縄の海にいた。


ひい爺さんは、白内障の手術もしたし、補聴器も手放せなくなり
もしたし、足腰も弱くなったけれど、80歳を越えてもボケたり
せずに新聞を毎朝隅々まで読むしっかりした老人だった。
ゲイカップルの俺と淳司にひい爺さんは最後まで味方をしてくれた。
カミングアウトして親父に勘当されそうになった時、「ワシの所有
株は全部正樹に生前贈与する。それでも勘当できるもんならして
みろ」と言い放って親父を黙らせた。

言った通りに生前贈与の手続きをすことになった時ひい爺さんは、
「正樹と二人きりで話がしたい」と言い出した。
親父も弁護士も部屋から追い出すと、ひい爺さんはセピア色の
ボロボロの写真を出した。
それは男たちの集合写真だった。
皆、そろいのつなぎ姿だ。襟元に白いマフラー、頭には耳当ての
ついた帽子とゴーグル。背後にはゼロ戦。
真面目な顔をしている人も、にこやかに笑っている人もいる。
「戦争の時の写真?」
「特攻隊を知っているか?」
どきりとした。
第二次大戦末期、日本軍が実行した航空機による体当たり作戦。
パイロットの命と引き換えに敵の船を沈めるスーサイドアタック。
特攻隊員として出撃することは、死ぬことを意味していた。
「ワシはここにいる。右から、井沢海軍一等飛行兵曹、藤岡海軍
一等飛行兵曹......」
ひい爺さんはよどみなく20人ほどの写真の人物の名前を挙げて
いった。
「皆、沖縄の海に散った。ワシだけが、機体不良で出撃できず、
次の出撃命令を待っているうちに終戦を迎えてしまった」
ひい爺さんはそれだけ言って、しばらく言葉を切った。
何度か口を開いて何かを言いかけて、でも何も言えないまま口を
閉じて。
やがて、ひい爺さんは言った。
「正樹、お前に頼みがある」
「頼み?」
「ワシが死んだら、ワシの骨の一部を沖縄の海に沈めてくれ」


デッキから見た南の海は穏やかで、俺はかつてここが戦場であった
ことが信じられなかった。
淳司が見つけてくれた遺骨を入れるためのアッシュペンダント。
中にはひい爺さんの遺骨のかけらが入っている。
俺はそれを思い切り遠くに投げた。小さなペンダントはすぐに
見えなくなって、俺は着水した瞬間さえしっかりとは確認できな
かった。


「必ず後から行くと、あいつに約束したんだよ」


どこまでも青く平和な明るい海の上で、俺はほんの少しだけ泣いた。