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数学教師と不良生徒

【3x²+15x+12=0を因数分解しなさい】
「この問題どうやって解くか知ってるか」
俺は、高校生ならば解けてほしい問題を指さす。
北村はうちの進学校一の問題児だ。進学校には相応しくない不逞な行動・授業妨害・成績の悪さから、教師たちは彼をけむたがっていた。
何故か北村は俺だけにはあまり反抗しない。多分俺が一番生徒教育にやる気がないからだろう。そのためか、俺は北村の専属補習教師という肩書きをつけられてしまっていた。
今日も放課後、誰もいない教室に残り数学を教えてやっていた。
「わかんねぇ」
「こうやるんだ。たすき掛けって知ってるか?組み合わせを考えるんだ」
やり方を説明する。しかし北村は俺の手元など見向きもせずに「知るか」と言った。
「知ろうとしろ」
「俺には数学なんて必要ない」
北村は少し前髪にかかる髪をくるくる手でねじりながら言った。
「なぁ、なのになんで数学なんて勉強しなくちゃなんねんだよ」
「…」
俺は黙った。すると今まで強気な相手の態度が少し和らぎ、その代りに不安げな表情が顔に現れた。
「なんだよ。…怒ったのかよ」
「いや…、なんでだろうな」
「は」
「なんで、勉強するんだと思う?」
俺が代わりに質問すると、北村は語気を荒げた。
「てめぇ、教師だろ」
ふ、と笑う。
「落ちこぼれのな」
それを見ると北村は潜めた眉毛を緩めた。
「…俺が知るか。ていうか俺は勉強しなくてもいいと思ってる。だから今までもこういう成績だ」
「そうだな」
ちらりと、北村は俺の方を見る。
「お前らはなんで俺らをそんな勉強させたがるわけ?」
「…」
「言っとくけど、俺のためとか訳わかんねぇこと言い出したらぶん殴るからな」
自分のため、と言われたいのだろうか?俺は少し考える。
「お前のため、か」
北村の目を見ながら、俺はしばらく考えた。北村は何故か俺の行動に少し狼狽しているようだった。頬がほんのり上気しているようだった。
「なんだよ、こっちジロジロ見やがって」
「考えてるんだ」


「ふん…答えてやろうか」
「言ってみろ」
なんだ、自分の答えを持っていたのか。俺は北村の答えに興味を持った。
「俺みたいな奴が野放しだったら都合が悪いからだろう。私達は落ちこぼれも見てあげてるのに彼は反抗する。だからこちらとしては彼が問題を起こしたときも精一杯対応しましたーっていう体制を整えたいんだ」
「そうなのか」
「そうに決まってる」
こういう簡単な言葉で他人の心理をつく北村は、本当は頭は悪くないのだと俺は思う。
「まぁ、確かに他はそうかもしれないな」
「お前は違うのかよ」
「個人の気持ちとしてはな。…俺は数学が好きなんだ」
しばらく考えた末に、やっと思い立った自分の答えを、俺はゆっくり導き出した。
「は」
「あらゆる無駄を一切省いた公式が美しいと思う。xy座標に描かれるサインの曲線にみとれる。地球を何周しようがお互い一切交わることのない平行線の力強さに心を奪われる」
「それがなんだ」
「俺にはそういう美しさを数学の中に見る」
「で?そういうウツクシサを俺にも見せてやりたいって?」
シニカルな笑みを見せて、北村は聞いた。それに俺は北村の目を見て応える。
「いや。多分俺が見たいんだ。お前と」
「は…」
「俺はお前の発言とか、考え方をこの補習の間に少しでも知って興味が沸いてるんだ。だから一度お前と一緒にそれを見てみたい。…お前をもっと知るために」


「…告白?」
しばらく時間が経ってから、北村が喉の奥から絞り出したような声を出した。
「…そうとるのか」
「違うのかよ」
ちょっと俺は自分の言ったことを思い返して言う。
「いや…違わない」
「…まさか、こんな風にこんな告白をあんたからされるとは」
目をそらしながら北村が言った。
「俺も想定外だ。…少し熱くなりすぎたよ」
本当にその通りだ。普段こんなに喋らないのに。明らかに喋りすぎだ。
「へぇ」
「恥ずかしいな…忘れてくれ」
やっと今言ったことの影響が二人にとっていかほどなものかを実感して、羞恥がどんどん自分にふりかかる。
「忘れられるか」
「やっぱりだめか」
「…嘘なのか」
ぽつりと北村が言う。
「いや…今いった気持ちは確かだ。話してみたいよ、一度。お前と。
だって知らないだろ?πもiもベクトルも」


「…アイなら知ってる」
黙って聞いていた北村はそう言うと、いきなり椅子から立ち上がり、俺に唇を重ねてきた。
「!」
「こういうことだろ?」
赤い顔をして、にやりと笑う。
「で、パイはこれだ」
そして俺の胸に手をあててきた。
「…親父ギャグだな」
「違うのか」
「まさか本気で?」
「誘ってるのかと」
「馬鹿野郎」
俺は笑って接近してきた北村を優しく押し戻す。
北村もそんな俺をみて、穏やかに笑った。そして小さな声で言う。
「…あんたがそう言うなら、数学やるのも悪くないかもしれない」
「え」
今度はおれの方をみて、勝ち誇ったような顔ではっきりと言った。
「ウツクシサってやつがわかるように、これから数学だけは努力してやる。感謝しろよ」
「…ふ」
子供じみた言い方だ。そうだ、コイツは8歳も年下なんだったな。今更思い当たる。
「笑うなよ」
口をとがらせる北村に俺は素直に自分の気持ちを打ち明けた。
「嬉しいんだよ」
それを聞いて、赤かった相手の顔がさらに耳まで赤くなる。
「なんだよ…」
俺はすかさず二人の間にしかれている問題用紙をあらためて指さした。
「じゃあ、まずはこの問題が解けるようになることからだ」
「げ」

さっき彼が「i=愛」という式を証明しようとした。
iは虚数解だ。実数で上手く表すことが出来ない虚ろな解。
今の俺とこいつの関係は果たして「愛」なのか?答えは限り無く不明。
俺には理解出来ない。
でもだからこそ。確かにこれは、この関係は。

「『アイ』だな」
「は」
「なんでもないよ」