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誘拐犯と人質

「明日私は脳病院へ連れて行かれるようだ」
「なんだと?」
裸電球がチリチリと鳴っている。窓のない部屋の唯一の明かりに誘われ蛾の群れが集っていた。
この部屋はまるで牢獄だ。剥き出しの砂壁、煤茶けた畳、外から錠の掛けられる扉。置かれた家具は小さな長持と古くて引き出しが開かなくなった帳場机のみ。
その机で黙々と書き物をしているのがこの部屋の主、佳次である。
酒屋の次男坊なのだが、気が狂れたとして離れのこの部屋へ収容された。
「……ったく……ここに入れられた時もそうだが、狂ってんのは親父さんの方じゃねえのか?」
「滅多なことは言わないでくれ。それにこの部屋は君のせいじゃないか」
佳次の隣でいかがわしい本を読んでいるのが、遠縁にあたる七緒。数年前の夏、七緒との情事を女中に見つかった。それが佳次の父親に知れ、七緒は出入り禁止となり佳次は幽閉されたのだが、人目を忍んで今夜のように密会を重ねていた。
「それで……お前に頼みがあるのだ」
佳次はペンを置き、静かに言った。
「今夜私をさらってくれないか。」
七緒も本を閉じ、真っ直ぐに佳次に向き直った。
「無茶を頼んでいるのは重々承知している。助教授になったのだろう?君の築いてきたその立場も危うくなろう。男を拐かすなどとんた醜聞だ。
 お前の人生を狂わせるかもしれない、それでもお願いだ。
 お前に逢えなくなるのなら、私は本当に狂ってしまうだろう。いや、もう狂っているのだろうな。このように自分のことしか考えられなくなるなど……」
そこまで一息に言うと、七緒の胸に顔を埋め、肩を震わせた。
「……私を哀れだと思うなら……頼む……七緒……怖いのだ」
「……俺は……あんたに同情するつもりはさらさら無え」
耳元に掛けられた言葉は低く冷たかった。
泣き崩れたいような感情となぜか安堵したような感情が同時に湧き、全身の力がふわっと抜けたが、倒れそうになる体を強く抱き締めてくれる腕に気付いた。
「だがな……あんたをかっさらいてえ理由はある。あんた人質にして逃げてりゃほしいもん何でも手に入りそうだ。……あんたを愛してる」