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盲目愛が崩れる時

「なぜだ……?」
掠れた声で目の前の彼が僕に問うたので、僕は彼を真っ直ぐ見返す。
銃口も真っ直ぐ向けたまま、彼の疑問に答えた。
「お父さんが、あなたのことが邪魔だと。排除しなさいと」
言いながら、僕はあのとき頭を撫でてくれたお父さんの手の温もりを思い出していた。
この仕事が終わったら、また撫でてくれるだろうかと考える。
帰ったらまずシャワーを浴びて綺麗になってから、お父さんのところへ行こう。
そんなことを考えていると、
「……自分は孤児だと話していたのは、嘘か」
低い声が耳に入って、僕は意識を目の前の彼に戻した。
彼は泣き出しそうな怒ったような変な表情をしていて、それを見た僕は頭の片隅で首を傾げる。
「俺に話したお前の身の上は、全部、嘘だったのか」
ああ。
そういえば、彼があまりに親身な風にいろいろ聞いてくるから、僕もつい色々と話をしていたのだった。
仕事終わりの雨の中、迎えを待っていた僕を呼んでオンボロな部屋へ入れてくれたのが出会い。
その次の邂逅も、その次の次の邂逅も、確か全部雨の日だった。
僕を部屋に招くたび、彼は僕の頭にタオルを被せてガシガシと乱暴に拭いて、
何だか色々なことを言っていたけど、その言葉は今となってはよく思い出せない。
僕の記憶の殆どはお父さんに割かれていて、その他の人間の言葉は残らないように出来ている。
覚えたのは彼の顔と彼の声と、彼の職業が探偵ということくらいだ。
「いいえ。嘘じゃありません」
それは本当だった。僕は嘘をつけるような賢い人間ではない。
もし話したくないことがあればすぐバレる嘘をつくよりは沈黙を選ぶことにしている。
どうでもよい人間である僕のことなら、いくらでも喋って問題なかった。
「あなたに話したことは全部本当のことです」
喋れることなどいくらもなかったけれど。
「しかし今、君は父親と」
「父親じゃありません。お父さんです」
一人ぼっちだった僕を拾い上げてくれた人。僕を愛してくれる人。僕に愛されてくれる人。
僕はお父さんのことをだけを見ていればいい。考えていればいい。そう教えてくれた。
そして僕は教わったとおりに生きてきた。

彼は数秒の間沈黙し、僕のことを睨むように見返してきた。
「……。その『お父さん』とやらが、君に俺を殺せと命じたのか」
「はい」
「なぜ」
その声からいつの間にか怯えが消えていることに気付く。あれ?、と頭の片隅で思う。
「さあ」
僕は首を傾げて見せた。彼が眉を顰めるのに気付いて、嘘じゃないです、と僕は繰り返す。
とぼけている訳ではない。本当に知らない。僕は嘘をつけない。
すぐバレる嘘をつくくらいなら沈黙するし、もしも自白剤でお父さんの不利になることを
喋らされるくらいなら死を選ぶ。簡単な死に方も知っている。お父さんが教えてくれた。
目の前の彼が、なぜか怒ったような声色で僕に問う。
「君は理由もわからずに、命じられるまま人を殺すと?」
「はい。お父さんに言われたので」
とんだファザコンだ、と彼は吐き捨てた。
なぜ彼はいま怒っているのだろう。銃口を向けられていて、次の瞬間にも死ぬかもしれないのに。
そういえば、彼はこれまでも――何故かは理解できないけれど――よく怒っていた。
そもそも最初に出会ったときから既に怒っていた気がする。
頭をタオルで拭いてくれたときも、ホットミルクを出してくれたときも、頼んでもないのに傘を買ってくれたときも、
腕の怪我を手当てしてくれたときも、僕をベッドに放り込んで自分はソファで寝ていたときも。
「君は以前、今の自分は幸せなのだと言った。あれも本心なのか」
「そうですね」
「君はそれでいいのか?」
「はい」
幼い頃は一人ぼっちだった。でもお父さんに出会った。その瞬間に僕は独りではなくなった。

僕にはお父さんしか居ない。お父さんしか要らない。今までもこれからも。
お父さんのためなら僕はなんでも肯定するし、お父さんのためにならないなら僕はそれを否定する。
お父さんが喜んでくれるなら、お父さんに褒めてもらえるなら、お父さんを笑顔にできるなら。
「お父さんが、あなたは邪魔だと。排除しなさいと。だから」
目の前の彼の表情が歪んだ。
「だから、ごめんなさい」
そう言って、僕は、引き金にかけた指に力を込めようとして――ふいに、あれ?と思う。
「…………」
その『あれ?』は今度は頭の片隅ではなく、眉間のあたりに浮かんできて、僕を引っかいた。

どうして僕はいま、彼に「ごめんなさい」と謝ったのだろう。

そういえば。
ほんの短い間。お父さんと居た時間とは比べ物にならない些細な時間。
僕はお父さんのことしか覚えなくて良い筈なのに、どうしてか彼の挙動を記憶している。
彼と話したことは覚えていない。でも思い出せる。矛盾している。
僕は嘘をつけない。
そういえば、どうして、僕は彼と何度も会っている? 彼が僕を目聡く見つける、から?

「君は……」
彼が何か言いたそうに僕を呼ぶ。
僕は右腕を持ちあげたまま、僕のことを呼ぶ彼をただ見ている。
彼がゆっくりとこちらに近付いてくるのに、引き金を引こうともせずに。