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キャリアとノンキャリア

「近田の絵はいいな」
そう言った森村の言葉を素直に受け取れないのは、僕が美大も専門も出ておらず、彼の磨かれた技術と深い知識とついでにいうなら生い立ちや家柄に憧れているからに過ぎなかった。強烈に。
幼い頃から美しく価値の高いものに囲まれてきたであろう森村の作品は、感情をぶつけるだけの僕の抽象画もどきとは一線を画すものだった。
彼のような絵が描けたら、そんなことばかりを考えていた。

「森村。君には、この絵が何に見える」
そう問いかけてきた近田に対し口を噤んでしまったのは、僕がその溢れ出る芸術性を上辺でしか理解できないからに過ぎなかった。どうしても。
近田の描く絵には禍々しさと清々しさとが同居して、それは見るものの心によってその時々に姿を変えた。
箱庭や温室の中で育ってきた自分には持ち得ない、壮絶な個性と魅力だった。
今も目の前で描きあげられていく絵には、泣きたくなるようなローズマダーとフレンチバーミリオンとが、互いを求め合うように複雑に絡み合っていた。傍らには夜より暗い、艶めくアイボリーブラック。

森村を見ずに、キャンバスに赤と橙の混じったのをぶつけながら呟いてみた。
「森村、僕は君の整頓された筆遣いが好きだ。ひいては君が好きだ」

まるではなからそこが色付いていたかのように、淀みなく筆を動かす近田の手を見つめながら、僕は少しでもその潔さに近づけるよう淀みなく答えた。
「僕もだ近田。君と、それから全てを断ち切るような君の筆遣いが好きだ」

少しの沈黙の後でおかしな気配に気付き振り向くと、森村は立ち尽くしたまま声も上げずに泣いていた。
見てはいけないものを見てしまったような気がして、筆を取り落としそうになる。

僕がみっともなく涙を垂れ流していると、近田がこれでもかとうろたえていた。

森村は僕を安心させるためか、鼻をズビズビ啜りながら笑って、「君の絵が美しいからだ」と笑えない冗談を言った。
上流階級の言うことが僕にはやはり全く理解できなかったが、不思議といやな感じはしなかった。

近田はどこから出してきたのか、金利0%などとうそぶくポケットティッシュを僕に差し出し、「こんなの、ただの夕陽とカラスだぞ?」と訝しげな顔をしていた。

一度でいい、僕は君の世界が見たい。