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背中合わせ

扉をぶち破った俺の目に飛び込んできたのは、剥き出しの背中に焼印を押し付けられている彼の姿だった。


「他人の背中というものは、こんなにも温かかったのですね」
彼はそう言って、こちらに身体を傾けてきた。
俺は少しだけ前のめりになったが、ぐっと腹に力を入れて押し留まる。
すると彼はくすくす笑いながら、更に体重をかけてくる。まるで子供がふざけているようだ。
「おい」
軽く諌めると、背中から「すみません」と苦笑交じりの声が返って来た。
「こういう事は初めてなものですから、とても新鮮で」
「俺だってこんな状況ねえよ」
男二人、後ろ手に縛られてまとめて鎖でぐるぐる巻きに拘束される状況など。
目の前にある鉄の扉に思い切り蹴りを入れた。当たり前だがびくともせず、足に痺れがはしる。
全身に力を込めてみたが、鎖の戒めが緩むこともなかった。人の身ではどうすることも出来ない。
不自由なことこの上なかった。暴れだしたい衝動を舌打ちしてやり過ごす。
と、こちらが大きく動いた所為か、背中越しに彼が小さく呻いた。
俺ははっとして緊張させていた背の力を抜き、後ろに問いかける。
「傷むのか、背中」
「いえ、大丈夫です。なんともありません」
すぐに答えが返ってきたが、それはきっと嘘だ。

あのとき。
牢獄に踏み込んだあのとき、彼の背中にあった羽は既に斬り落とされていた。
純白の、綺麗な羽だった。
俺はその柔らかさがとても気に入っていた。俺には無いものだったから。
本人には一度も言ったことがなかったが。
今、その羽のあった場所には、忌々しい烙印が焼き付けられている筈だ。
背中越しにあの焼印の熱が伝わってくるような気がして、俺は顔をしかめた。

「……勿体無いことしたな」
半分は本音、半分は誤魔化しで、俺はそう言った。
彼は可笑しそうに「勿体無い、ですか」と笑う。
「そうですね。貴方に撫でて貰えなくなるのは、確かに少し残念です」
彼らにとっては命に等しいものの筈なのに、背中から聞こえる声に陰りはない。
「けれど失わなかったとしても、撫でてくれる人がいなくなっては、意味がありませんから」
どちらにせよ同じことです、と軽い調子で返される。
一体、羽と何を天秤にかけたのか――かけさせられたのか、俺は訊かなかった。
聞けばおそらく、俺は衝動を抑えられなくなる。

きつく奥歯を噛み締める俺をよそに、「それに」と彼は言葉を続ける。
「すっきりしたお陰で、こんな風に貴方の背中に思い切り寄りかかれるようになりました。
 誰かに背中を預けることがこれほど温かくて心地よいものだなんて、羽があった時は分からなかった」
「…………」
「本当に、貴方と出会ってから、私は色々なことを知ってばかりです」

ふと、後ろで縛られた手に彼の指先が触れた。探るようにして、優しく掌を重ねてくる。
「貴方が助けに来てくれて嬉しかった。私は幸せ者ですね」
「それは、結局のところ助けられなかったことへの嫌味かよ」
「そうですね。半分くらいは」
からかうような声と共に、背中が少しだけ揺れた。俺がよく使う言い回しを真似たつもりらしい。
「お前な……」
「でももう半分は本心です。最後の最後まで貴方と一緒に居られて、私は本当に幸せだと」
指と指を絡め、強く握り締められる。
「ありがとうございます」
しっかりとした声音が、牢の中に響いた。
その声に処分を待つ者の怯えや恐れは感じ取れなかった。俺への恨みの響きも無い。迷いも痛みも後悔も。
どんな顔で感謝の言葉など紡いでいるのか。確かめてやりたかったが、この体勢ではそれも叶わない。
ただ、彼の体温が伝わってくるだけだ。

なぜ『奴ら』が俺とこの男を引き離さずに二人一緒に縛り上げて閉じ込めたのか。
簡単だ。この密着した状態では『化け物』は本性を現さない。
鉄の扉を切り裂く鋭い爪も、狭い壁など吹き飛ばせる刃の如き翼も、
現したと同時に背にある者の身体を傷つけ引き裂いてしまうだろう。
だから愚かな化け物は本性を現さない。理性を総動員して、本能に近い破壊衝動を必死で抑え込む。

狙いは半分は成功している。しかし、もう半分は失敗だ。
奴らは正しく理解していない。
自分達が切り捨てた『同胞』は、『化け物』の理性の留め金であるのと同時に、引き鉄でもあることを。

不意に泣き出したい衝動にかられた。
これから男が続けて何を言おうとしているのか、俺には察しがついている。
処刑を待つこの絶望的な状況下で、彼がなにを望むのかもわかっていた。
聞きたくないと思った。しかし、聞きたいとも思っていた。
俺は彼の何もかもが好きで、だから背中の彼を感じながら、ただ目を閉じる。

「もう我慢しなくて良い。さあ、貴方は此処から逃げなさい」

羽を失ってもなお凛とした声が、俺に命じた。