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社長秘書

「キスをさせてくれないだろうか」

 青ざめた顔で社長は言った。

「……逃げてもいいんだ。秘書だからと言って私の全ての面倒をみる必要はない」

 顔色は悪く、目の下の隈が痛々しい。胸にツキリと痛みが走る。

「逃げませんよ。どうかあなたの望むように」

 自分が知る限り、この人はもう二日ろくに寝ていなかった。
 二十代の頃起業し、十年かかってようやく軌道に乗り始めたさなかのこの不況だ。
 普段気の緩みを決して人に見せない人であるにも関わらず、さすがに疲れた顔をしている。
それでも自分以外にこの顔は見せないだろうと思った。
 力を抜くことを知らないこの人のガス抜きができるのは自分だけだと。
 だからこそ覚悟を決めた。自分の全てをこの人に捧げる。これからの人生も、体も、なにもかも。

「後で嫌だったと言っても聞かないけどいいのか?」
「言いません」
「……後悔されるのは嫌なんだ」
「ええ」

 自分から手をとった。手の甲にそっと口づけると、びくんと体が揺れる。
 もう一度しようとすると、強く腕を引かれた。スーツ越しにでもはっきりとわかる、がっしりとした胸に抱きしめられる。
ふっとフレグランスの匂いが香って、頭がくらくらした。


「……っ」

 そっと唇が重ねられる。まるで壊れ物を扱うような触れかたに泣きそうになった。
 自分はこれくらいで壊れたりしない。大切にされなくてもいい、だから求めて欲しかった。

「キスだけですか」
「……」
「私だって一人の男です。こんな優しいキスだけされたって、つらいだけです」
「……これ以上したら、君が私を嫌になったとき、逃げられなくなる」
 逃げようなんて考えていません、と反論しかかって、きつく体を抱かれた。

「君だけいればいい。だからずっと側にいてくれ。それだけで十分だから。
君がもし結婚しても文句は言わない。でもずっと私の秘書でいてほしい」

 まるでこれはプロポーズだ。目をつぶると深く息を吸った。そしてそっと背に手をはわせる。

「では私の言うことを聞いてくださいますか」
「ああ、なんでも」
「では今日は仕事はここまでにして、私と一緒に眠ってください。明日のことは、また明日考えましょう」

 その言葉が想定外だったのか、一瞬社長は動きを止めると、笑って「そうしよう」と相槌をうった。