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旅人と少年

昔、とある村に一人の旅人がやって来ました。
娯楽の乏しい辺鄙な土地でしたから、
異郷のめずらしい品物や都の話題を運んでくれる旅人は歓迎されました。
ですが、他所の人間など滅多に訪れない村に、宿屋などありません。
旅人は、村長の館に逗留することとなりました。

さて、村長には息子が三人いたのですが、末っ子の少年は体が弱く家にこもりがちでした。
それ故でしょうか、外の世界への憧れは人一倍強く、村の誰よりも旅人の訪れを喜びました。
「ねえ、旅の話を聞かせてください」
少年は、朝から晩まで旅人を質問攻めにし、冒険譚をせがみました。
子供の相手ばかりもしていられなかったでしょうに、旅人は嫌な顔ひとつせず、それらに応じました。
自然の厳しさと美しさ。人間の恐ろしさと優しさ。旅の苦しみと喜び。
湧き出す泉のように尽きぬ話の中で、旅人が何度でも語り、少年も何度でも聴きたがったのは、
意外なことに旅人の故郷の話でした。
「どこにでもある街だろうけど、僕にとってはどんな素晴らしい景色とも比べようがないものなんだ。
 出来ることなら、旅の終わりはあの場所で迎えたいものだ」
旅人がそう言って、暖かくも寂しげな眼差しを空の彼方に向けるのを、
少年は熱に浮かされたように見つめたものです。

半月ほどが経ち、旅人は村を発つことになりました。
「どうしても行ってしまうのですか?」
どうにも名残惜しい少年が、涙を押し隠して尋ねると、
「僕は旅人だからね」
旅人はニコリと笑うと、少年に一枚の紙を渡しました。
それは、彼が今まで旅した道を記した、手書きの地図でした。
「これを見て、時には僕の事を思い出してくれると嬉しい」
そう行って、少年の額にキスを落とすと、旅人はまっすぐ、次の場所へと歩き出しました。
少年は地図を握りしめ、旅人が見えなくなっても、手を振り続けました。
やがて手を下ろし、涙を拭って、再び旅人が去っていった道を見据えた時、少年の瞳は強く輝いていました。

少年は変わりました。
体を鍛え、それまでが嘘のように病気をしなくなり、村の狩人たちに生き抜く知恵を習いました。
そして3年後の誕生日、両親や兄たちを説き伏せた少年は、村を出ました。
あの日貰った地図を手に、旅人がたどった道のりを遡っていったのです。
旅人の話通りだったこともありましたし、全く違っていたこともありました。
騙されたり襲われたり、命を落としかけたこともありましたが、
旅人と過ごした時間を思い出せば、くじけることはありませんでした。

それに、道中何かに心動かされるたび、「彼も同じ気持ちだったのだろうか」と遠い面影に思いを馳せると、
また新たな感慨が浮かんでくるのでした。

長い旅路の果て、少年――いや、もう青年と言っていい年頃です――はついに旅人の故郷にたどり着きました。
町の人々に彼の消息を尋ねた青年は衝撃を受けました。
旅人は半年前街へ戻ってきたが、重い病に侵されている。もう、もって半月ほどだろう――
青年は居ても立っても居られず、彼の住まいを聞き出すと、旅装も解かずに駆け出しました。
息も荒らかにその部屋に飛び込むと、かつて旅人だった男は彼を一目見るや、目を見開きました。
「君はまさか、あの村の? ……見違えたな、大きくなったね」
その言葉を聞いた途端、青年は胸の奥から込み上げてくる何かを感じました。
「あれからずっと、あなたみたいに旅がしたくて、あなたの故郷が見てみたくて、……あなたに、会いたくて」
溢れる涙を止めようともせず、青年は男のすっかりやせ細った手を握ります。
「信じられない――こうして、故郷で最期を迎えられるだけでも奇跡と思っていたのに」
男の目からも、一筋の涙がこぼれました。
「……僕は長くない。でも、幸いにもまだもう少しは時間がある。だから……」
男は青年の額にそっとくちづけて、言いました。
「君の旅の話を、聞かせてくれないかい?」