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神隠し

飛行機で空港に着き、取ってあったビジネスホテルで一泊、そこから電車で乗り換
え駅まで行って、汽車で最寄り駅まで行って、駅から日に六本出ているバスに乗っ
て小一時間、昼過ぎにやっと俺は自分の生まれ育った村の入り口に着いた。
最小限の着替えの入った荷物を肩に、山の斜面に張り付くように作られた道路を
歩いていくと、後ろから自動車の近づく気配がした。
念のためにガードレールに身を寄せながら歩いていると、白い軽トラが俺を追い
抜いて、少し先で止まった。
「もしかして、本家の巧か?」
軽トラの運転席から降りてきたのは、分家の賢兄だった。俺より五つ年上で、小さ
な頃は良く遊んでもらった。一応血縁らしいのだが、はとこなんだかはとこの子な
んだか良くわからない。田舎の親戚関係なんてアバウトなもんだ。
「バスで来たのか? おじさん達、駅まで迎えに来てくれなかったのか?」
「S駅から電話しろとは言われてたんだけど、忙しいだろうから...」
「おばさん達なら、迎えに行く手間がかかっても、早く会えるほうが喜ぶって。去年
の祭りでも『全然帰ってこない』って愚痴ってたから。乗ってけよ。三十分歩くより
は早く着くって」
荷台に荷物を放り込み、賢兄の軽トラのスプリングの薄いシートに座る。
「祭り、今もやってるんだな」
「当然だって。オレ、去年の神男だったんだぜ」
どきりとした。
「やっぱり、面をつけておこもりしたんだ?」
「おう!でも、ありゃ、なんか変な夜だったなあ」
「変って?」
「オレ、酒には強いんだって。お供え食べ放題飲み放題って聞いたから、一晩飲
み明かすつもりでおこもりはじめたんだけど、気がついたら布団で寝てたんだって。
飲み始めの三十分くらいしか記憶がないんだって。酒飲んで記憶をなくしたこと
なんか、一度もないのにだぞ? お供えを飲み食いした跡は残ってたんだけど、
オレが記憶をなくすほど飲んだとは思えない量しか酒は減ってなかったんだって。
しかも、後片付けしてあったんだって。家じゃ茶碗下げたこともないオレが、いくら
神様のいる奥社って言っても、後片付けなんて思いつくか?
よくよく思い出しても、なんか変な感じなんだって。凄く気持ち良い夢を見たような
気もするんだって。でも覚えてないんだって。変だろ?」
「面を...外さないように寝るの、大変じゃなかった?」
「気がついたら、面をつけたまま寝てたからなあ。そういや、巧も十二の時に神男
やったんだったな」
「うん。俺も、すぐ寝ちゃったけどね」
俺はそう嘘をついた。

道の両側にポツンポツンと家があるバス道からコンクリート舗装の旧村道に入っ
て川沿いをしばらく行くと、山間にぽかんと開けた空間が広がる。村の一番奥、川
の一番上流にある村の中でも一番古い大川という集落で、ここの住人は殆どが大
川姓だ。俺の家も神社もここにある。
狭い土地に田んぼと畑を作って、冬の間は獣を獲って自給自足で細々と暮してい
た小さな集落。元は平家の落人の隠れ里で、だからこんなに不便なところにある
のだと聞いた。
段々と村人が増えて谷沿いに田を作りながら少しずつ集落を拡大していった。分
家の賢兄の家もバス道沿いだ。
平成の大合併でこの村もS市の一部になったが、とてもS県S市から始まる住所と
は思えない僻地なのだ。
狭い農地と少ない人口、後は江戸時代あたりから始めたらしいこうぞを使った和
紙作りくらいしか無かったこの村がやっていけたのは、「凶作知らず」だからなの
だと親は教えてくれた。
「この村は神様が守ってくれているの。だから、しっかり神男を務めるのよ」と、
十二歳の時に村育ちの母親に言い聞かせられたのを思い出す。

家の前まで軽トラが寄ると、縁側で干ししいたけを広げていた母さんが顔を上げた。
「おばちゃん、巧、連れてきたよー!」
トラックの窓から賢兄が言う。
「あら、賢ちゃん、ありがとー!巧っ!あんたは電話しろって言ったのに!親の言
うこと聞かないから、賢ちゃんに迷惑かけちゃったじゃないのっ!あ。賢ちゃん、
ちょっと待ってね。丁度、しいたけがいい具合になったから、持って行ってね」
母さんは賢兄にはにっこり笑って、トラックを降りた俺をキッと睨みつけて、それか
らまた賢兄に優しい笑顔を向けて言ってから、バタバタとタタキへと入っていった。
「あいかわらず、うるせーわ、あわただしいわ...」
「母親なんてそんなもんさ」
俺の言葉に、賢兄が笑う。
「本当にわざわざありがとうね、賢ちゃん。これ、皆さんでどうぞって、お母さんに
渡してね。お父さんにもご隠居さんにもよろしくね」
「はい、ありがとうございます。じゃあ、巧、またな」
「送ってくれてありがとう」
俺は賢兄に手を振った。


「久しぶりだから、その辺、歩いてくるわ」
とりあえず荷物を縁側に置き、俺は母さんに言った。
「お昼ごはんは食べたの?」
「バスの中でパン食った」
「夕飯はあんたの好きなから揚げだからね」
「楽しみだな。じゃ、行ってくる」
実家から歩いて五分も行くと神社に着く。
石の鳥居の手前、参道の階段で小学校低学年くらいの子供二人がじゃんけん遊
びをしていた。
「ちーよーこーれーいーとっ!じゃんけんポン!」
「勝った!ぱーいーなーつーぷーるっ!」
そういえば、俺も子供の頃は境内とかでよく遊んだっけ。
思えば、あの夜より前には禁足地にも入り込んだことが何回かあった。うっかりそ
のことを親に話してこっぴどく叱られたこともあったけれど、別に、何があったわけ

でもなかったはずだ。
鳥居を抜けて、手水を使って、形ばかりのお参りをする。
神主様も村に畑を持つ農家なので、普段の日中は神社にはいない。
子供達が階段の下のほうへ行くと、人目がなくなった。
俺は意を決して、神社の裏手へと足を踏み出した。


注連縄の張られた小さな鳥居が禁足地の境だ。
俺は鳥居をくぐって自然の石を適当に組んだだけに見える曲がりくねった石の階
段を上り始めた。奥社までそんなに距離は無いはずなのに、なんだか妙に遠い。
弾む息と次第に早くなる鼓動にせかされるように、俺は足を速めた。
曲がり角を抜けて林の向こうに奥社が見えた。俺は駆け出していた。
靴を脱ぐのももどかしく奥社の木の階段を上がり、木の扉に手を掛けた。奥社の
木の扉には大きな黒い和錠がかかっていたはずなのに、扉は勢い良く開いた。

「大きくなったね」
祭りの時とは違う、お供え物の無いすっきりした祭壇の前に、お兄さんが立ってい
た。
あの時と同じ、白い着物と白い袴と白い足袋、あの時と同じ、優しげな笑顔。
俺は駆け寄ってお兄さんを抱きしめた。まだ落ち着かない呼吸もかまわず、唇を
むさぼる。冷たくて柔らかい唇を割り、舌を押し込み、跳ねる舌を甘い香りの
吐息と共にからめとる。
思うまま唇を奪っておきながら、それでもまだもどかしくて、俺は唇を離し、抱き潰
さんばかりの力でお兄さんの体を抱きしめた。
背中に回されたお兄さんの手が、そっと抱きしめ返してくれるのがわかった。そし
て片方の手が、やさしく俺の髪を撫でてくれた。
その手が俺の頬に触れる。
あの時と同じ、ひんやりと滑らかな手が俺の頬を包む。その手に導かれてお兄さ
んに顔を向けると、あの時と同じ、吸い込まれそうな黒い瞳が俺を捕らえた。
「好きにしていいんだよ」
お兄さんはそう言って笑った。あの時とは違う、ただ優しいだけではない妖しい笑
みで。
後は無我夢中だった。
押し倒し、着物を剥ぎ取り、無駄な肉の無い、でも十分な筋肉のついた細い体を
組み敷き、反りかえる腰を押さえつけ、まるで尽きる気配のない自らの欲望を叩
きつけた。


「こんなにも、君は僕の事を思い返してくれてたんだね」
気がついたら、お兄さんが横になった俺の顔を覗き込んでいた。俺は眠ってしまっ
ていたのかもしれない。
「お兄さんの名前、なんていうの?」
「内緒だよ、巧君」
「ずるい!教えてよ!」
「ダメ」
「じゃあ、別の質問。お兄さんの言う儺追人って、どういうもの?」
現在、一部の神事にその名の残る儺追人は、他の人の厄を引き受ける者だ。こ
の村の神事の神男とは役割が違う。
「儺追人は、僕を楽しませるためのいけにえだよ」
お兄さんは笑った。
「元々は毎年村人全員でくじ引きしていたんだけどね。昔、若い女の儺追人が面
を外して僕のものになってしまって以来、年男だけになったようだよ。子供を産む
村の女がいなくなってしまったら困るからね」
「あの面はなんなの?」
「僕の世界と君の世界を隔てるもの。儺追人を現世につなぎとめる命綱。現世の
神主の言葉を守り続けること、現世を忘れないことが、儺追人を守るんだよ。
もっとも僕も、本当に気に入った相手以外には面を取って欲しくないけどね」
「面を取った女の人はどうなったの?」
「僕と一緒に暮らして、子供を一人産んで、寿命で死んだよ。僕の世界でだけどね」
「子供は?」
「人から生まれた子供は人だからね。生まれてすぐに神主の家に。大川の集落に
上子(かみこ)姓が何件かあるだろう? あれが彼女の子孫。今の神主も子孫だ
ね」
「何でそんなことまで知ってるの?」
「仮にも神様だもの。僕は、年に一度の祭りの夜、僕の世界と君の世界が一番濃
く重なるこの場所で、儺追人と好きに遊ばせてもらう。代わりに、この地に豊穣を
もたらす。もしも儺追人が自分を守る面を外したら、僕は儺追人を僕の世界に連
れて行っていい。それがこの地に人が暮らすようになった時からの約束なんだよ」
「もうひとつ、質問」
俺は、体を入れ替え、お兄さんの顔を上から覗き込みながら、軽トラの中で賢兄
の話を聞いた時に思ったことを口にした。
「去年の年男とも、こういうことをしたの?」
「うん。彼とは話しても面白くなかったからね」
さらりと、お兄さんは言った。
喉の奥に、カッと熱い塊が生まれた気がした。その塊を飲み下すようにしながら、
唇を重ねる。
長い口付けの後、顔を離した俺の目を下から覗き込みながら、お兄さんは言った。
「苛立ってる?嫉妬しているんだね。とても可愛いよ」
ああ、お兄さんは人間じゃないんだ。唐突に、奇妙な絶望感と共に、そう感じた。
俺の知っている人間とは違う、別のものなのだ。
そんな俺の心さえ見透かすように、お兄さんは笑いながら俺の股間に手を伸ばし
た。
「苛立ってる。嫉妬してる。絶望してる。それでも猛ってる。本当に、人は面白いよ
ね」
耐え切れなくなって、俺はまたお兄さんを抱きしめた。
荒々しく貫く俺を軽々と飲み込み、白い肌をわずかに上気させる。その全てが俺
を翻弄するための幻かもしれないと思いながら、何もかもごちゃ混ぜになっ
た自分自身を叩きつけるように、俺はお兄さんの体を抱いた。


自分が果ててもまだお兄さんの体を抱きしめ続ける俺の髪を撫でながら、お兄さ
んは言った。
「君はやっぱり人だから、君のいるべき場所にお帰り。もう、ここに足を踏み入れ
てはいけないよ。あの夜、面を外した君は、僕の世界に凄く近い存在なんだ。僕
が君を返してやれるのは、きっとこれが最後。今度ここに来たら、もう、君は帰れ
なくなってしまうからね。二度とここに来てはいけないよ」
とてもとても優しい声。
「さあ、お帰り」

「お兄ちゃん、そこは入っちゃダメなんだよ!」
突然、子供の声が聞こえて、俺ははっとした。
俺は禁足地の鳥居の手前に立っていた。奥社で脱いだはずの服も靴も、家を出
た時のままだった。
時計を見ると家を出てから四十分程しか経っていなかった。
「入っちゃダメなんだってば!お兄ちゃん、聞いてる?!」
「ああ、教えてくれてありがとう」
俺は鳥居に背を向けて実家へと帰った。


夕飯は母さんが言った通りにから揚げもあったが、それ以外のおかずもいっぱい
あった。どれも俺の好きなものだった。
村役場に勤めていた父さんは、市町村合併で市の職員になったんだそうだが、や
っている仕事も給料も大差ないそうだ。
「まあ、飲め」と、ニコニコしながら俺のグラスに地酒を注いでくれる。
考えてみたら、十八で大学に行ってから初めての帰省、成人してから初めて父さ
んと一緒に飲む機会に恵まれたということだ。
「息子と飲むのは正明の夢だったもんねえ」と、ばあちゃんが笑う。
「あ~。父さんの前じゃ、確かに飲んでなかったか」と、俺が言う。
「高校の頃から、家に帰ってくると夜に冷蔵庫のビールをくすねてたのは、みんな
気がついてたわよ」と、母さんが言う。
「気がつかれないと思ってるのが巧の底の浅さだよねえ」と、ばあちゃんが笑う。
「まあ、堂々と酒を飲める歳になったのは良い事だ。飲め」と、父さんは一升瓶を
持上げた。

飲んで食べて、また飲んで、やがて父さんはコタツで横になっていびきをかき始め
た。
「父さんもお酒に弱くなってきてねえ。昔はザルだったのに、歳のせいかしらね」
毛布を掛けながら母さんは言って、男達が飲み散らかしたコタツの上を片付け始
めた。
一度立ち上がったばあちゃんがもどってくると、立てた人差し指を唇に当てて、そ
っと俺の手にティッシュに包んだ紙幣を握らせてくれた。
「少しだけど、お小遣いにしなさい」
「ありがとう」
小声で返事をするとちょっと笑って、「お風呂先にいただこうかね」と大きな声で言
いながら行ってしまった。
入れ替わりに台拭きを持ってきた母さんは、コタツを拭きながら「無駄に使わない
のよ」と釘を刺した。ティッシュの中には3万円があった。
「うん、わかってる」
「あんた、好きな子できた?」
「ん...うん」
「告白した?」
「あ...あ~~、まだしてないな」
「なによそれ」
「色々あるんだよ。...そうだ、母さん」
「何?」
「大学行かせてくれてありがとう」
「やあねえ、急に」
母さんは笑いながら逃げるように台所へ行った。どうやら照れたらしい。
その背中に、俺は口の中で小さく「ごめん」とつぶやいた。


朝の光の中、俺は禁足地の鳥居の前に立った。
「お兄ちゃん、そこは入っちゃダメだって昨日も言ったじゃん!」
何時の間にそこに来たのか、昨日の子供が俺の隣にいた。俺を見上げながら口
を尖らせる。
「うん。知ってるよ。だから、君は入っちゃダメだぞ」
「入ったらもうおうちに帰れなくなるんだよ。神隠しって言うんだよ」
「難しい言葉、知ってるんだな」
「お母さんもお父さんも、きっと泣いちゃうよ?」
「うん。わかってるよ。俺、酷い息子だよな。でも、決めたんだ」
俺は鳥居の中に足を踏み入れた。
「もう帰れなくなるって言ったのに」
背後から聞こえたお兄さんの声に振り向くと、そこにいたはずの子供の代わりに
お兄さんが立っていた。
「わかってるよ。でも、俺は来たんだ」
俺は、お兄さんをまっすぐ見つめて言った。
「お兄さんが好きだ。お兄さんの側にいたいんだ」
お兄さんは鳥居をくぐって俺の側に来た。
「まだ、迷いがある。少し後悔している。不安が大きい。でも、喜びも大きい。本当
に、人は面白いよね」
そっと俺を抱きしめる。
「本当に...本当に、人は愛しいよね、巧君」
「名前、教えてよ。名前を教えると俺を返せなくなるから内緒にしてくれてたんだよ
ね? もう帰らないんだから、教えてよ。俺も、お兄さんの名前を呼びたい」
抱きしめ返した俺の耳に、お兄さんはそっと内緒の名前を囁いてくれた。




最初に書きます。これは遺書ではありません。

お父さん、お母さん、ごめんなさい。
俺は行きます。

お父さん、お母さんには、これ以上ないほどに愛してもらいました。
俺はこの家の息子でよかった。心の底からそう思っています。
こんなに愛してもらったけれど、俺は行くことに決めました。
好きな人ができました。その人の側で一生を終えるために、俺はもう戻れない場
所に行きます。
ここまで育ててもらったのに、学費出してもらったのに、こんな選択をしてしまって
すみません。
大学中退の手続きと、アパートの引き上げをよろしくお願いします。

繰り返します。これは遺書ではありません。
俺は自殺をするわけではありません。
戻れないけれど、多分手紙も電話も使えないけど、きっと俺は元気でやって行き
ます。
だから、心配しないでください。
全ては俺の我侭です。許してくださいとは言えません。ただただ、謝るしかありま
せん。ごめんなさい。
どんなに遠くにいても、俺はお父さんとお母さんが元気でいることを願っています。

お父さん、お母さんも、どうかお体に気をつけてください。
ばあちゃんも、長生きしてください。

大川巧

追申
十二歳のおこもりの時に、神様に言われたことを思い出しました。
お母さんのから揚げがとても美味しかったので、またお供えにして欲しいと言って
いました。
今年から、できたら毎年お供えに加えてやってください。