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天然な先輩とずる賢い後輩

「お」
「……あ」

コンビニの入退店と共に聞こえてきた、おそらく自分に向けられたであろう声に藍川は顔を上げた

「あれ、お前家この辺って言ってたっけか」
「はぁ」

相変わらず声でかいな

ほんのり頬を染めてへらへら呑気に歩いてくるその男をちらと見ながら、藍川は自販機脇の灰皿に煙草を押し付けた

「…まだ呑むんですか」
「お前いつの間にか先帰っちゃうんだもんなー」
「俺呑めないって言ってるでしょう」
「いいんだよ、呑まなくても」
「もう誘わないで下さい、誘われると断れないので」

あんたに誘われると、と心の中で付け足して、数時間前の居酒屋の情景を思い出す
横にいた同僚に自分の飲み代を預けて席を立ち、去り際に見たこの男は、別の同僚の肩を抱き親身に話を聞いていた
周りの騒音に掻き消されないように耳許で何か囁かれた同僚は笑ったような泣いたような顔で頷き、肩を何度も叩かれた

優し過ぎるのだこの男は
―誰にでも

「…お前はさ、もっと皆の輪に入ったらいいんだよ。ほら、俺にたまに軽口叩くみたいにさ」
「……」

人懐こい顔でニッと笑いかけて手に下げたコンビニ袋を肩に担ぐと、男は続けた

「アレだぞー?お前、経理の麻由ちゃんとか香田ちゃんとかなーお前の事格好いいだの…」

道路を流れる車を眺めながら、そこでふと言葉を止める

「…まぁ、そういうのがなくてもさ。皆仲良くしたがってるよ、お前とさ」


―俺、男しか駄目なんです

何度目か分からない残業を手伝ってくれた時、藍川は彼に告げた

―そうか

シンと静まり帰ったオフィスに、いつも騒々しい彼からは想像出来ない穏やかな声がぽつりと響き、それ以上は何も聞かなかった


「…俺は」
「ん?」

車の音に少し掻き消された藍川の声に、男は道路から彼に視線を戻した

「俺は山崎さんが思ってるような人間じゃない」
「俺が思ってるような人間って?」
「……」

少し震えて俯くと、山崎と呼ばれたその男は穏やかに笑ったまま藍川の頭を撫でた

「…いい奴だよお前は」
「……」
「可愛い奴だよお前はー!素直じゃないけどよー!」
「…人が見てるんでやめてもらっていいですか」
「いつもこん位しおらしかったらもっと可愛いのになーお前なー」
「はぁ…可愛いってね…」
「な!俺ん家くるか。独りもんは寂しいんだよ、お前も付き合え」
「だから呑めませんって」
「呑まなくてもいいんだって。な、決定!いいだろー土曜だし。何かお笑いでも借りてくか、そうしよう」

こちらの返事はどうでもいいらしく、いつもの調子に戻って笑いながら歩き出す

―でっかい背中。

藍川よりも背も体格も一回りは大きい山崎の背中を眺めながら彼は思う

ちょっとこうやって甘えてみせれば、簡単にその懐に入れこんでしまう
飼えるかどうかも分からない捨て猫をほいほい家に連れ帰ってしまう
…それでもきっと、飼い慣らしてしまうんだろう
この男なら、どんな猫でも

―本当に優しすぎるのだこの男は
…誰にでも


それにしても、数時間前に飲み会を抜けたはずの人間が何故こんな時間まで外をうろついているのかとか

普段そつなく自分のサポートをしてくれる後輩が、何故自分の予定が何も無い日に限って残業しなければならない程仕事が捗らないのかとか

男が好きだと言う人間を、どちら側かも分からない人間をこんな時間にほいほい自宅に上げてしまうこの状況とか

―もうちょっと危機感持ったほうがいいんじゃないですかね、…先輩

「あ!あ!ない!俺TSUTAYAのカードない!なぁ、お前持ってる?ねぇ聞いてる?」

さぁ、と答える藍川の前髪を夜風が優しく撫でた

駐車場脇の野良猫が小さく鳴いて、秋の夜が少しずつ深さを増してゆく