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悪落ち→救済

「実に、残念です」
ゆっくりと扉を閉めながら、彼は頭を振った。
「世間を騒がせていた殺人鬼が、本当に貴方だったとは……」
「幻滅したか?神父様」
言いながら、俺はコートのポケットに手を突っ込む。
それを見た彼が警戒するように一歩後ずさるのが見えたので、笑いかけてやる。
「別に拳銃なんか出やしねえよ。煙草だ」
だが、取り出した箱には煙草は一本も残っておらず、俺は舌打ちして箱を握り潰した。
後ろにいる男がため息をついている。
「神聖な場所で煙草など吸おうとしないで頂きたいのですが」
こんなときですら大真面目にそんなことを言うので苦笑した。
「あんた、俺が怖くないのか」
「は?」
意味が分かっていないような表情で首を傾げている。
この男はいつもそうだ。いかなるときも自分のペースを崩さない。
それが職の所為なのか、元々の性格なのかはよく分からない。
「あの殺人鬼が目の前にいるんだ。こっちのポケットにはゴミしか入っていなかったが、
 別のポケットには銃が入ってるかもしれない。それで口封じにあんたはここで殺されるんだ」

彼には、五人目の殺害現場を目撃されていた。
不幸にもその場に居合わせたこの若い男は、最初の数瞬こそ凍り付いていたが
すぐに全てを悟ったかのように悲壮な表情になり、そしてなぜか逃げもせずこうして俺を教会まで導いたのだ。

「あんたの取るべき行動は、すぐに警察へ駆け込むことで、俺を教会に連れて来ることじゃないだろう。
 それともお優しい神父様は、殺人者ですら哀れんで、一晩中、懺悔でも聞いて下さるのか?」
「貴方にその気持ちがあるのであれば、いくらでもお聞きしましょう」
そのセリフに、呆れた。
「俺とあんたが顔馴染みだからって、殺されないとタカを括っているのか?だとしたらとんだ甘ちゃんだ」
すると、彼は「いいえ」と静かに首を振った。
「知り合いだから殺されないとは、思っていません。今まで殺された方々も、貴方とはお知り合いだったのでしょう?」
その言葉に、俺は軽く衝撃を受ける。
彼の言う通りだった。
世間では無差別殺人だと言われているが、実際のところ、被害者達と俺は面識があった。
つまりは、怨恨だ。猟奇的な、ただの怨恨殺人。
だがその繋がりは表面上は限りなく薄く、警察も辿り着けていない。
だからこそ、世間は無差別殺人鬼だと噂しているのに。
「これは驚いたな。それも、例の『ご神託』……教会独自の情報網が出所か?」
「……いえ」
「その様子だと、俺の動機まで調べがついていたりしてな。神様は何でもお見通しか?」
「…………」
彼は困ったように目を伏せて曖昧に言葉を濁している。
これまでもこんなことは何度かあった。
耳の早い新聞社ですら嗅ぎ付けていない情報を知っていたり、行方不明の人物の居場所について見当をつけていたり。
否、知っていたのは『教会』か。
そのことについて今まで何度か訊ねてみたことはあったが、その度に彼は曖昧に笑って誤魔化すだけだった。

そういえば、彼は教会に入ってくるときにこう言った。
――世間を騒がせていた殺人鬼が、『本当に』貴方だったとは……

今の今まで、現場に彼が居合わせたのは不幸な偶然だと思っていた。
だが考えてみれば、神父である彼がこんな夜中に、町外れの裏通りを偶然通りかかる確率は限りなく低い。
しかし、もし知っていたとしたら。彼は故意にあの場所へやってきたことになる。

「はは、こりゃ傑作だ。警察よりもあんたら教会の方が、捜査機関として有能だなんてな」
心底可笑しくて笑っていると、男は顔を上げ「そんなことはありません」と言った。
「この国の秩序を守っているのは、あくまで貴方がた警察ですよ。……警部」
「俺はもう警察の人間じゃねえよ」

「いいえ。貴方はまだ警部のままです。机の中の辞表は、明日にならないと発見されない」
「……あんた、本当にどこまで知ってやがる」
こちらの質問を無視して、神父は悲しそうな表情で俺に問う。
「まだ、続けるおつもりなのですか」
「さあて、どうだろうな。神様は全部お見通しなんだろ?」
俺は肩を竦めてみせる。
辞表を書いたのは、刑事でいることへの罪悪感からでもなければ、罪の露見を恐れて逃亡するためでもない。
単に、刑事という肩書きがもう不要になっただけのことだ。
正確に言えば『捜査の行き詰まりに疲れ果て辞職した刑事』という次の肩書きを手に入れるため。
そうしなければ、次のターゲットには上手く近づけないのだ。
そう。まだ俺は止まる訳にはいかない。
「とりあえず、懺悔するのが今じゃないことは確かだ。悪いな」
警察の手では届かない、刑事だった自分には裁けない、そんな連中を全て潰してやるまでは。
だから、ここでこの男といつまでも悠長に話している時間は、あまり無い。
(とりあえず、こいつには殺しの現場を見られちまったし、な)
彼をここで殺したとしても、彼のバックには教会の情報網があるようだから、根本的解決にはならない。
『教会』がどこまで知っているのかは分からない。不確定要素は危険だ。
だが少なくとも、ここで彼の口を封じてしまえば、いくらか時間は稼げる。
それに、知られていることを知ってしまえば、以後は警戒すればいいだけだ。
今まで物的証拠など残していない。だから逮捕はされない。それどころか、逆にそれを利用してやることも――
「……私の知っている貴方は」
不意に、噛み締めるような声が教会に響いた。
「悪を憎み、けれど犯罪者を一方的になじることはなく、更正が必要なら手を差し伸べる、そんな方です。
 あなたに救われて、心に平穏を取り戻した人は数知れないでしょう。
 私は、貴方こそ警察の鑑だと思っていました。いえ……警察として以前に、人間として、立派な方だと」
「おう、ありがとうよ」
礼を言ってやるが、神父の表情は苦しげに歪んだままだ。
「けれど貴方は、五人もの人間の命を奪いました。しかもこれ以上ないという程に惨たらしく。
 刑事という立場を利用して、貴方は警察の目を巧妙に逸らし、捜査網を掻い潜り、殺人を続けてきた」
重々しく響くセリフは、罪状を読み上げるようだった。
「罪に償いはあれど、相殺はありません。どれだけ貴方が他人を救っても、貴方の罪が濯がれることはない」
「おいおい、この状況で有難い説教か?まったく大したヤツだな」
職務に忠実なのか、度胸があるのか、自分の置かれた状況が理解できていないのか。
「ついでだからお返しに教えてやるよ。俺から見て、あんたはちょっと真面目――」
「警部」
しかし、言いかけたセリフは遮られる。
神父は軽く目を伏せてから、再びゆっくりと目を上げ、真っ直ぐに俺を見た。
「それでも神は、貴方を赦します」
「……あ?」
何を言われたのか、わからなかった。
「罪を裁くのは秩序。秩序を守るのは人間、秩序に守られるのは人間、秩序を乱すのは人間。
 秩序を守るためには犠牲が伴う。犠牲の為に戦うのもまた秩序。犠牲とは弱者。あるいは、罪」
言いながら、目の前で神父が白い手袋を填めている。
「貴方はたくさんの人々を救った。しかし五人の命を奪った。貴方には理由があった。五人には理由があった。
 理由はまだ転がっている。貴方はそれらを食い尽くすまで、止まる意思は無い。寧ろ、その意思しか持っていない」
彼の瞳は未だ悲しみを湛えていたが、こちらから視線を逸らすことはない。
「この国の法律も、警察も、世間も、そんな貴方を許さないでしょう。けれども、神は貴方を赦します」
まるで、式典で説教でもしているような口調で。
「貴方の魂は、安らかに神の下へ導かれるでしょう」
「あんた、何を言ってる」
薄気味悪さを感じて、今度は俺の方が一歩退いていた。
俺の知っているこの男は、いつも真面目でときに融通が利かず、日曜は子供達に囲まれ一緒に歌を口ずさみ、
良い行いには笑みを浮かべ、悪い行いには怒りでなく悲しみの表情を返す、そんな至って普通の神父。
それなのに、その声は今や恐ろしく落ち着いている。
「罪は秩序の下で裁かれべきであり」
その表情には憂いを帯びたまま。
「秩序を守るのは警察の役目です」
神父は、だらりと両の手を下ろす。
「……けれど、貴方は、少々やり過ぎました」
その言葉を言い終えたと同時に、彼の身体がゆらりと前へ傾いで――次の瞬間には、十歩の距離を鼻先まで詰められていた。

カタギの野郎の動きじゃない。
そう気付いたときには既に、銀色のナイフが、俺の胸に深々と突き刺さっていた。



「これで四人もの人間を惨殺した恐怖の殺人鬼も終幕か。あっけないものだ」
「犠牲者は五人です」
私は訂正する。
「それに、四人目が殺されるまで我々は彼に辿り着けず、結局五人目にも間に合わなかった。
 『あっけない』で終わらせるには、いささか犠牲が過ぎたのではありませんか」
「ほう。それではお前は、この世には過ぎぬ犠牲もあると言うのだな」
面白がるようにそう返されて、私は黙った。
そんな私を見下ろして、自分の上司である男はなぜか愉快そうに笑う。
「本来は向こうの仕事だ。あまりに酷い状況だったからこそ、我々が手を下したのだろう。
 まったく、身内で化物を飼っていたことにも気付かないとは、警察も情けないことだな」
「……この方は、化物などではありません」
彼は立派な人物だった。
そんな彼を何が凶行へ走らせたのか。なぜ狂気へ走らざるを得なかったのか。
それをいくら此処で語ったところで、彼の罪は変わらない。
と、上司が思い出したように「そういえば」と呟いた。
「お前とこの男とは顔見知りだったのだな。やはり、やりたくなかったか?」
「いいえ」
その問いに、私はためらいなく否定を返す。
「こうしなければ、彼は救われないままでしたから」
言いながら、自分でも判で押したような答え方だと思ったが、上司は特に何も言わずただ「そうか」と頷いた。

教会には静寂が満ちている。
ステンドグラスから差し込んだ月の光が、彼の遺体に降り注いでいる。
ほんの数十分前までは生きていて、ほんの数日前までは捜査のついでだと言いつつ教会に顔を出していた男。
元々白かった手袋は、今は彼の血で赤く染まっている。
「……先生」
椅子に腰掛け、自分の両手を見つめたながら、私は上司に呼びかける。
「私の手は、救うに値する手なのでしょうか」
救済は万人に等しく与えられる。たとえそれが罪人でも。
だが、万人が全て、等しく救いを欲するのだろうか。果たして彼は救いを求めていただろうか。
おそらく彼は否と答えるだろう。そう、それを常に求め欲し憧れているのは、他でもない――
「私は値すると思っているからこそ、お前に仕事を任せているのだが」
顔を上げると、すぐ傍まで上司が来ていた。
「それだけでは不足かね?」
そう言って、まるで子供にするように、私の髪をくしゃくしゃとかき回す。
おそらくこの上司は、私の心情を知った上で、尚も面白がってこんなことをしている。
私はため息をついた。
「それは、ありがとうございます」
「さあ、雑談はここまでだ。そろそろ引き上げるぞ。この死体も、このままここに放置してはおけまい」
上司は私の頭から手を離すと、楽しげな表情を引っ込めて、淡々と言った。
「彼の魂の行く先に、安らぎと幸いがあらんことを……」
その言葉に、私も自分の中の下らない感傷を振り払う。
私は、自分のやっている事を忘れてはならない。やるべき事を見失ってはならない。
そして彼の死に顔も、断末魔も、罪も、理由も。
「先生。一つだけ、お願いをしてもよろしいでしょうか」

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世間を騒がせている未曾有の連続殺人鬼は、現時点で実に六人もの犠牲者を出している。
被害者同士には何の繋がりもなく、共通項はただ一つ、遺体が酷く破損していることだけだ。
しかも六人目の被害者は現職の刑事であり、その事実に人々は更に震え上がっている。
今のところ、七人目の犠牲者は出ていないが、警察の捜査は難航を極めているという。