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パティシエの恋

初投下で勝手がわからなかった…まとまりなくて本当にスマソ

チリンと鈴の音が鳴って男が入ってきた。
雑誌やテレビを賑わしている様なお洒落なパティスリーではない、「パティシエじゃねえ、菓子職人と言え」という
頑固親父が長らく経営していた寂れかけた製菓店には、貴重な客だ。
店を継いだ二代目パティシエ、もとい菓子職人は、週に一度は必ず買物に来る大事な常連客に
飛び切りのにこやかな笑顔で「いらっしゃいませ」と声をかけた。
男は挨拶に無反応なまま、ショーケースの前で長身を屈めじっくりとケーキを吟味する。
それこそ下段の棚から上段まで、左から右へと隙間なく視線を巡らす。それを何度か繰り返した後に、
おもむろにこちらに視線を向けてきた。
「…この間のケーキは?」
投げかけられた問いに答えられるまで数秒かかる。それが先週まで並んでいた新メニューのケーキの事を
言っているのだと気づいて、ああ、と思わず溜息をついた。
「あれはもう店頭から下げたんですよ。林檎のシブーストですよね」
「シブ……」
「タルト地に林檎とクリームを載せて焼いたやつです。でも見た目が少し地味だったみたいで
あまり人気がなかったんですよね。その代わりに、ほら」
ケースの向こう側から身を乗り出して中央の棚、右から二番目を指し示す。
「今週から並べたんですけど、評判がいいんですよ。よかったらいかがですか?」
「いや、これは…」
指差されたケーキを見た途端、無意識なんだろうが男の顔が渋くなる。当然だ。無数のハートでデコレーションされたケーキなど、
三十路を過ぎた男が買うものではない。もしそれが「大の甘党の男」だったとしてもだ。
「…じゃあ、これとこれ」
男は店の定番のチーズケーキと新作ケーキの二つをオーダーすると、鞄の奥から財布を取り出した。
その際に中からラッピングされた箱がいくつか見えた。明日は土曜日。なるほど今日はバレンタインの前倒しというわけか…と
どこかもやもやした気分で考える。
「…もてるんですね」
一万円札を取り出した男が不意打ちを食らった鳩のような顔をする。それがなんだかおかしくてくすっと思わず笑ってしまった。
「だってそれ」
「…義理だから」
自慢すればいいのに取り付く島もない素っ気無さ。けれど、嫌な感情は湧かない。
「そういえばこの間、駅前の居酒屋で見かけました。団体だったから会社の同僚の方たちですよね、きっと。すごく盛り上がってたし」
「…たぶん、会社の子の送迎会」
「ああ、なんかそんな感じでした」
それきり落ちる沈黙。商品を交えない会話はキャッチボールにならず、ミットも掠らない。…そんなお堅い態度じゃなく、
オヤジギャクの一つでも飛ばして見せろよ。そんな事を考えながら、レジからお釣を取り出そうと手を伸ばした。
…けれど少し考えて腕を引っ込める。ちらりと男を見ると胡乱そうな目を向けられた。


「すみません。細かいお札足りないんで少し待っててもらっていいですか?」
ぺこんと頭を下げると、男は了解したとばかりに店の隅においてあるベンチに腰をかけた。
とはいっても長く待たせるわけにはいかないので、急いで奥に向かうと手早く目的のものを手に持ち小走りで戻ってくる。
男は所在なさそうにチラチラと店内に視線を漂わせていた。
「お待たせしました。…これ、お釣です」
「ああ、ありがとう」
そのまま財布を仕舞い込んで出て行こうとする男を呼び止め、ショーケースの外側にまわると、まだ半開きの鞄に小さな包みを捻りこむ。
男は驚いたように体を固くした。
「おまけです。いつもありがとうございます」
微笑みかけると、いつも無反応な態度なのが嘘のように、男はぽかんと口を開けて無防備な顔をした。
そんな思いがけない様子を見ると、今度は自分のした事が妙に気恥ずかしくなり、咄嗟に俯く。数秒後、チリンと鈴の音が鳴る。
顔をあげると男はいなかった。けれどうろたえるように呟いた「ありがとう」の言葉が、型押しされたように胸の奥に強く残った。

最後の客を見送り店を片付けると、厨房スペースにおいてある椅子に腰掛け一息入れる。
お菓子作りは体力勝負だ。製造と接客でくたくたになった上半身や足をもみほぐしていると、
店の隅においてあった携帯電話からメールの着信音が流れる。
送信元は今でも仲がいい大学時代の友人だった。内容はいつもくだらない。彼女の話や、仕事の話、会社の同僚の話…。

『…それでさ、根津さん今日も例の彼女のとこ行ったらしい。
普段の仕事の鬼ぶり知ってるからすごい笑えるよ。大の辛党のくせにケーキ屋通いだぜーー』

 他の部分は全然頭に入らなくて、友人が何の気なしに打ったはずのメールの一文を、呆れるくらい何度も読み返す。
奇跡のような偶然は、油断すれば涙が出るほど嬉しくて幸せで、それなのにやっぱりどこか切なくてたまらなくなる。

 男はきっとパティシエの名前も知らない。けれどパティシエは男の名前も知っていれば、好きな食べ物から趣味まで知っている。
お喋りで何かとマメな友人が、会う度電話する度、堅物で変わり者な同僚の話をおもしろがって一から十まで話して聞かせるからだ。
パティシエは今までに書き溜めていた脳内メモを、頭の中で反芻してみた。
無口で頑固な変わり者。けれど実は世話好きで情に厚い。時折身内に飛ばすギャクはオヤジ。目下、ケーキ屋の菓子職人にご執心。


…それを当の男が知ることになるのは、あとほんの少しだけ先の話。