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くだびれたオサーン2人

店屋物で各自遅い夕食を終える。署に泊まるのもこれで五日目だ。追い込みのかかった捜査本部は段々と殺気立った気配を漲らせてきている。
その張り詰めたような空気が嫌で、安藤はわざと唸り声のような溜息をついた。爪楊枝を吐き出し、ごみ箱めがけて投げる。それは小さな金属製のごみ箱のふちに跳ね返り、無残に床に落ちた。安藤は片目を細めて舌を打つ。
安藤は斜め向かいのデスクで書類を書いている横山に向かって声をかけた。
「外行くか」
屋内禁煙。押し寄せる嫌煙の波に、警察署とて無縁ではない。取調べ室すら禁煙とされて現場の刑事は不平を漏らしたものだが、あるか無きかの抵抗は果たして無駄に終わった。今では皆、この寒空に屋外で情けなく煙をくゆらすことしかできない。
「ん…おお、ちょっと待て」
横山は眉間に皺を寄せて、つたない指づかいでキーボードを叩いている。未だにタイピングタッチの出来ない同僚を見て安藤は小さく笑う。太い指にノートパソコンの小さなキーボード。熊がレース編みをしているような奇妙な眺めだった。
「先行くぞ」
「いやいやいや、ちょっと待て、もう終わる……ん、終わっ、た、と」
言葉に合わせてとん、とん、とん、とキーを叩き、横山はにやりと笑って立ち上がる。


五年ほど前に購入した黒いトレンチコートは、とうに色はあせて青とグレイを混ぜたような奇妙な色になっている。生地はよれてところどころ裾が擦り切れてしまいそうだ。しかしこのコートが一番自分の身体に馴染んでいる。雨上がりの空気は清冽で、澱んだ部屋の空気に慣れた肺には心地いい。水溜りを踏まないように気をつけながら署の裏手に回った。
安藤はごそごそとポケットを探ってライターを出す。オイルが少なくなっているのか、何度か石を鳴らしても火花が散るばかりだ。
「ほらよ」
隣からライターが飛んでくるのを辛うじて受け止めた。
「おう」
二人で肩を寄せ合い、薄ぼんやりとした宵闇の中で煙草を燻らせた。寝不足で不明瞭な頭には、苦い煙草の煙すら何の刺激にもならない。
「そろそろ帰りてえよなあ」
「全くだ」
建物の壁にもたれ、上を向いて煙を吐き出した。背を丸めて煙草を吸う横山の後姿を見る。彼も似たり寄ったりのくたびれたコートを身に着けている。
「なあ」
声をかける。横山は煙草を咥えたまま振り返る。疲れたような顔で笑って見せると、横山もゆっくりと頬を緩めた。薄暗い闇、建物の裏手、見る者は誰もいない。
指に煙草を挟んだまま、横山のコートを焦がさないように気をつけながらその襟を掴んで乱暴に引き寄せる。指にかかった抵抗はほんの僅かで、横山はすぐに安藤に身体を寄せてきた。
自分よりも随分高い上背と拾い肩幅。今でも柔道をやっている彼の身体に余分な肉は少しも無い。
「煙草、邪魔だ」
言うと、横山は苦笑して咥え煙草を指に持ちかえる。
顔を寄せる。自分からは口付けない。少し待つと、身をかがめるようにしてゆっくり横山が口付けてきた。
自分のものとは違う煙草の味。伸びてきた髭がお互いの皮膚にちくちくと痛い。薄っすらと唇を緩めると横山の舌が忍び込んできた。
指から力なく煙草が落ちる。まだ随分と長いそれは上手いこと水溜りに落ち、不平を言うようにじゅっと鳴った。