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まとも×電波

血の臭いが嫌いだと言う。
だったらその場に留まっていないでさっさと離れれば良いと薦めたのだが
「そしたら血の臭いで僕だけ浮きだってデフレスパイラルだ。ストレスで血を吐く」
と返って来たので、それきりその提案はしないでいる。
血の色も服が汚れて目立つから嫌いだと言う。
その割にいつも白地のパーカーを着ていることを指摘すると
「服が白くないと僕は夜から出られなくなる。何も見えない。カラスは鳥目だから」
と返って来たので、服についてはもう何も言わないことにして、よく落ちる洗剤を買ってやった。
臭いが付いたり服が汚れたりするのが嫌なら、せめて返り血をなるべく浴びないようにしろ、
そんな忠告をしてみたところ
「努力してみる」
と素直に頷かれた。たまに会話が普通に成立する分、この男は厄介だ。

俺はビルの階段を昇っている。
一階でエレベータのボタンを押してみたが、案の定、無反応だった。
こんなに歩かせやがってあの野郎、と俺は心の中で悪態をつきながら目的地である七階まで辿り着く。
表向きは、ナントカいう横文字の小洒落た名前をした株式会社の事務所だ。裏向きには……なんだったか。
ドア脇の呼び鈴らしきものを押したが、やはり何の反応も無い。というか、鳴った手応えすらない。
ノックもしてみる。反応なし。
まあ、反応が無いことはわかりきっていることなのだが。
ゆっくりとドアを開ける。すると、咽返るような血の臭いが鼻に付いた。
これは誰だって嫌になるレベルだろうと、俺は毎回思う。
「また派手にやりやがって」
わざと大きめに声を張りながら、俺は注意深く、奴の姿を探す。
目の届く範囲には見当たらなかったので、奥の部屋へと進む。
その部屋の入り口で中をざっと見回して、俺は部屋の隅にあるロッカーに目を留めた。
床のものを踏まないようにしながら、俺はロッカーの前まで足を運ぶ。
そして、ノックをした。
「……入ってます」
数秒の後、ロッカーの内側からくぐもった声が返って来た。俺はため息をついて、その扉を開ける。
そこには白いパーカーを着た青年が、すっぽり収まっていた。
状況によって驚愕にも恐怖にも笑いにも転がりそうな、奇妙な光景。
俺は一瞬だけうんざりしたが、顔には出さない。
「入ってます」
ぼそぼそと同じセリフを繰り返しているが、俺は無視する。
「お前、前に自分は閉所恐怖症だって言ってなかったか」
男は俯けていた顔を少しだけ上げて俺を見た。
「閉じられているのは世界だ。だから僕はずっと閉じこもっている。物理的閉塞は意味が無い」
瞳の色は漆黒だが、その眼にカラーコンタクトが装着されていることを俺は知っている。
「わかったから、さっさとそこから出てこい」
言いながら俺は腕時計を確認する。
時間にはまだ余裕があるが、ここから離れるのが早いに越したことはない。
何より黒服を纏った『処理班』の連中とコイツを引き合わせるのは気が乗らない。
「ほら」
右手を差し出して促す。
男は俺の手をじっと見つめて、何を思ったのか己の右腕を凄い勢いで持ち上げた。
ひゅ、と空を切る音がして、俺の手首ギリギリにナイフの刃先が向けられる。
「おいこら」
みっともなく後ずさりしなかった自分を褒めてやりたい。
男の右手には大振りなナイフが握られていて、その刃は血糊で酷く汚れていた。
一体、何人分の血だろうか。
このロッカーに至るまでに床に転がっていた死体の数をカウントしようかと考えて、やめた。
「テメエ、俺の手首も掻っ切るつもりか」
とりあえず睨みつけて凄んでみたが、男は少し首を傾げただけでまるで動じない。
「間違えた。太陽に届く方だった」
ぼそりと呟いて、ナイフを持っていない左腕をあげて、俺の右腕を掴む。
俺は大きくため息をついた。
ため息はコイツと話すときには重要な役割を果たす。これのお陰で、俺はいろいろなことを諦めることができる。
「まったく。少しは自分から動け」
そのまま軽く腕を引けば、男は抵抗もなくロッカーから出てくる。重みは殆ど感じない。
この華奢な男のどこに大の男を何人も殺し続ける体力があるのか、不思議でならない。
上の連中はどうやってコイツの才能に気がついたのか。

俺の心中に頓着した様子もなく、男はそのまま部屋の中を見回している。
その表情には明らかな嫌悪が浮かんでいた。
いつもはぼんやりと宙を彷徨っている目が、このときばかりは忙しなく左右に動く。
そして平坦な声色で――それでも彼にしては感情的に――吐き捨てる。
「血の臭いは嫌いだ」
「…………」
お前がやったんだろうとは、俺は言わない。
何も言わずに、パーカーのフードを立てて奴の頭に被せてやる。フードの内側は幸いにも白いままだ。
「行くぞ。黒服の連中と鉢合わせするのは御免だろ」
「服の色は大した問題じゃない。重要なのは明日をどう生きているか、そして夕飯のおかず」
「お前な。自分でテメエの服は白限定だとか言っておいてそれはないだろうが」
俺はさっさと出入り口へ向かって歩き出す。後ろで男がついてくる気配がした。

男の才能を見出した上層部に対して、俺は慧眼だと感服するべきなのかもしれない。
しかし、今のところは節穴だと罵倒したい気持ちの方が勝っている。
どこでこの男を拾ったのかは知らないが、なぜこうやって平然と抱え込んでいられるのか。
こんな、不安定な状態で常時安定しているような男を手駒として使おうなんて正気の沙汰じゃない。
そしてコイツのお守に俺をあてがっているその采配にも、俺は文句を言う権利がある。
しかし仮に俺が何を喚いたとしても、現状、その役目から解放される見込みはない。
もう一度、大きなため息をついた。
すると、俺の少し後ろを歩いていた男が、聞き取りづらい音量で
「ため息をつくと幸せが逃げてしまうよ」
と言ってくる。
俺は立ち止まって振り向く。フードに隠されて男の表情はよく見えない。
稀に、本当に稀にまともなことを言う。話が通じると錯覚してしまう。
そのお陰で俺は上に文句を言うタイミングを逃し続け、この男と縁を切れないでいる。

「……。帰ったらそれを洗濯をするぞ。お前は今度こそ大人しく風呂に入れ」
「重要なのはおやつ。そして洗剤はアルカリ性に限り、洗濯機は閉じた世界であるべきだ」
「心配しなくても蓋閉めないと安全装置で動かねえよ。いいからまず風呂。飯はそれからだ、いいな」
「わかった。努力する」

たまに会話が普通に成立する分、この男は厄介だ。