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中東情勢

街は瀕死の状態だった。建物は全て壊れていた。生き残った壁らしきものは蜂の巣になっていた
きっと美しい街だったのだろう……一緒に回りたかった……涙がこぼれてきた
ガイドの運転する車は更地の前で止まった。ガイドは「ここが目的地だ」という意味のことを言った
オレは震える手足と高鳴る動悸と乾く口と色んな心身の緊張を感じながら意を決して車から降りた

マラークという名前はアラビア語で天使を意味する。マラークはオレにとってまさに天使だった
出会ったのは去年の夏のことだ。河川敷で大学の仲間とバーベキュー大会をしていた
飲んで泥酔したオレは正体不明になり川に真っ逆さまに転落してあっという間に流された
もうダメだと思ったが、対岸で釣りをしていた若い男性に助けられた。それがマラークだった
マラークは中東出身の23歳。留学生だ。元水泳選手で国家代表の候補になったことがあるそうだ
ちみなに留学は私費だそうだ。実家は向こうの観光地のホテル経営に関わっているお金持ちらしい
日本を留学先に選んだ理由は「YAOI」だそうだ。マラークはゲイだったのだ
中東ではゲイがゲイとして生きることはまず不可能だ。マラークは故郷から離れることを選んだ
そして「YAOI」のある日本なら自分でもゲイとして生きられると考えて留学先を選んだらしい
マラークは髭を生やしていない。アラブの男は基本的に髭を生やす。髭を生やさないとゲイ扱いされる
マラークは敢えて髭を生やしていないのだ。マラークの顔を見てつくづく思うのだが、アラブ人は白人だ
学問的にはゲルマンでもラテンでもスラブでもなくセムという系統の人たちだそうだが間違いない
イタリアのサッカー選手をさらに濃くて少しだけ東方の血を混ぜたような感じだ
そんなこんなでオレとマラークは恋仲になった。オレの方が明らかにマラークにのめり込んでいた
去年の年明けから中東は揺れに揺れた。マラークはとても情勢を心配していた。オレも心配だった
夜にマラークとの行為を終えた後にネットに繋いでは、BBCやアルジャジーラを見ては情報を集めた
その最中に今度は日本が揺れた。マラークは在日アラブ人のコネクションを駆使して募金を集めてくれた
日本と世界が異常に揺れた年にマラークの故国も民主化運動で大揺れだった
デモ隊に軍が発砲して死傷者多数という痛ましいニュースは連日のように伝えられた
デモ参加者の14歳の少年が軍から壮絶な拷問を受け見るも無残な遺体になったというニュース映像も見た
マラークの故郷は以前から宗教的マイノリティが多く居住する地域で反政府運動が盛んだった
そしてとうとう始まってしまった。政府は反政府運動を徹底的に殲滅するために街に空爆を始めた
街の住民=反逆者というスタンスで徹底的にやるようだった。国際社会は何もできなかった
マラークは帰国すると言い出した。オレは止めようと思いつつ止めなかった
止めることはできないと思ったし、止めてはいけないと思ったからだ
「親族の無事を確かめて安全地帯に脱出させて必ず戻ってくる」と笑いながらマラークは成田から飛び立った
オレはその笑いがオレに心配をかけまいと必死に作っているように見えた
そしてマラークにはもう二度と会えないような気がした。その予感は的中した
マラークは両親や妹たちと親族宅に身を寄せて脱出の機会を伺っていたが、そこに空から爆弾が降り注いだ
建物は一瞬にして全壊した。遺体はどれが誰かを判別するのが困難なほどに損壊していたという
マラークの留学していた大学から訃報を知らされたのはマラークの死から二ヶ月ほど経った後だった
現地は混乱の極みだっただっだろうから連絡が遅れたのも仕方ないだろう
マラークは大学側に「もし自分に何かあったらこの人に知らせて欲しい」とオレの連絡先を伝えていたそうだ

オレが今、立っているのはマターラの遺体が発見された場所だ。瓦礫は全て片付けられていた
乾いた風が通り抜ける。空は何事もなかったかのように雲ひとつない快晴だ
マラークの死後から程なくして突然に国際社会が軍事介入して独裁政権を無理矢理に倒してしまった
世襲の大統領が国外逃亡して政権が崩壊したその日はオレがマラークの死を知らされた日でもあった
混乱の中で犠牲者の遺体はまとめて大きな墓穴に埋葬された。その中にマラークの亡骸も含まれていたらしい
ここに来る前に献花を済まして来た。しかし、それが何だというのか? どうしようもない無力感に襲われていた
鳥のさえずりが聞こえて来た。きっとマラークも聞いた鳥のさえずりだろう
オレに何ができるか分からない……でも何とかしてこの国の再建のために一人の日本人として役に立ちたい……
オレは落涙した。涙は地面に落ち、あっという間に蒸発した。ガイドは何事かとオレを見つめていた