花束をもった人造人間

かたちは有機物を模している
しかし一からヒトが造ったモノだから、内面はいたって無機質である
多少複雑な思考は処理できても、繊細な心の機微までは理解しがたい
心とはある意味最も有機的なパーツといえる
とても曖昧で、共通の体験や暗黙の約束や、規則化しにくい要素で出来ている

具体的にどんなものかといえば、たとえば花だ
特別な日に、大切な相手へ花束を贈る。受け取った相手が喜ぶ
このやりとりを、人造人間は不可解だと考える

生花は金銭的にさほど高価なものではないし、すぐに朽ちてゴミになる
半永久的な使用に耐えないモノは無価値に等しい。歓迎する要素はない

なのになぜと問われば、哲学の類に素養のない博士は対応に困る
しかしそこは生みの親の責任として、苦手なりに真剣に考え、答えを出した

確かに花の盛りは短いが、それゆえに尊い
だから我々は散る花を喜ぶし、美しいと感じる
短くて尊い特別な期間を、大切な相手に捧げたいと思うんだ

「ほら、こんなふうにね」
首をかしげる我が子に、博士はレポート用紙に包まれた紫色の束を差し出す
研究所の敷地に自生しているヘザーの花だ
博士は"嬉しい"と"寂しい"の中間のような表情をしている
人造人間はそのどちらに対応していいのか判じかねて黙っていた
博士の話は記憶としてインプットされ、アウトプットされる機会のないまま時間が過ぎた


人造人間は朝、駅前の生花店で花束を買う
"ヒトは花を喜ぶ"ことを知っているからだ
そのままいつものルートで墓地へ行き、いつもの石碑の前に花束を置く
磨かれた石の表面には、半世紀も生きることなく土に還った博士の名前が刻まれている
そこで長い間ぼんやりとしている。まるで人間のように

多くのことを考える。考える。考える
曖昧なまま積ってゆく言葉の数々、いつか見た博士の複雑な表情、
何かに躓いたように思考が行き詰まる理由、朝露に濡れたヘザーの鮮やかな紫

やがてそれらがひとつの意味に繋がり、最も不可解な"愛"という概念を理解したとき、
博士が遺した生涯の傑作は、ヒトと変わらぬ心を手に入れるだろう


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最終更新:2012年03月04日 23:19