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芸術家の悩み

――暁さんが旦那様の愛人だってのは本当かね?
――さてねえ……屋敷に置いて寝食の面倒を見ている上に、金の援助までしているそうだけど。


この気持ちは雑音のようなもの。

僕は常に静かな気持ちでいることを望んでいました。怒ったり悲しんだりするのは苦手です。
弱いだけなのです。静かな気持ちでいるには、外は煩すぎる。
そもそも僕がキャンバスに向かうようになったのも、外の雑音から耳を塞ぐためだった。
自分の境遇が他より恵まれていることを是幸いと、内側に閉じこもったのです。
何のためでもない、僕はただ逃げるために絵を描いていた。

もう一人の僕がいつも傍で囁いていた。『お前の絵はお前にしか価値がない。そしてお前の価値は絵にしかない』
そんなことは、僕自身がよく知っていました。

しかし、初めて会ったとき彼は言ったのです。
「難しい理屈は分かりません。でも俺はあなたの絵を見ていると優しい気持ちになります」と。
そして屈託無く笑って「きっとあなたの優しさが滲み出ているのでしょうね」とも。
僕は優しくなどない、弱いだけだ。そう言いましたが、彼は微笑むばかり。
それから彼は頻繁に離れを訪ねて来るようになりました。
茶菓子を差し入れだと言って持ってきて、他愛の無い話をして、帰っていく。
ときには僕を外に連れ出して、川縁の桜や並木道の銀杏を見せてまわることもありました。

いつの間にか、僕はキャンバスに向かう時間よりも、彼と話す時間の方が多くなっていました。
彼の訪問を待ち望み、彼との会話を心待ちにするようになり、僕は絵を描かなくなった。

ああ、彼と居ては絵が描けないのだな、と思いました。
そしてこの気持ちは雑音のようなものだとも思いました。僕が避けて逃げていた筈の、外の世界の雑音。
けれど、それでも構わないという気になっていました。
僕は逃げるために絵を描いていた。逃げる必要が無いのなら、絵を描く必要もない。

しかし、その気分も長くは続かなかった。やはり雑音は雑音でしかなかった。
窓の外の世界は、僕の心を乱すものでしかなかったのです。僕は耳を塞ぎ続けるべきだった。
だから彼を視界から消すよう努めました。
彼に話しかけられても碌に返事をしなかったし、彼に微笑みかけられても目を逸らした。
彼は戸惑ったように「何か気に障ることをしましたか?」と訊ねてきました。
僕は答えようとして、結局は黙ったままでした。
何も言わぬ僕を見て、彼は悲しそうな表情を浮かべました。


するとまた僕の心に小波がたつ。
波紋は心の内に広がって、僕を追い詰め、逃げ場を奪っていく気がしました。
堪りかねた僕は、彼を乱暴に追い返しました。
もう来ないでくれだとか、酷い言葉を投げた気がしますが、よく覚えていません。

もう一人の僕が冷笑しました。『お前はまたそうやって逃げるのだな。これで何度目だ?』

その通りだと僕は叫びました。
僕は再び、逃げるためにキャンバスに向かいました。
しかし、絵の具を取り出しいくらキャンバスに塗っても、何の形にもならなかった。
窓の外の風景も、部屋の中に置きっ放しの絵たちも、酷く色褪せて見えました。
ふと見ると、戸口に追い返した筈の彼が立っていました。

呆然とする僕に彼は「俺はあなたの絵が好きですよ」と言いました。
もう一人の僕が、僕の代わりに答えました。『僕はきっと、君のことが好きなのだ』
すると彼はいつもと変わらない、柔らかな微笑を浮かべたのです。
酷い言葉を投げた僕を、彼はいとも簡単に許してくれたのです。
彼は繰り返しました。「俺はあなたの絵が好きです」と。

だから僕は絵を描く。逃げるための絵は僕にはもう必要ない。
この気持ちは雑音のようなもの。一度見失えば、もう二度と聞けない微かな雑音。
忘れぬように、僕は絵を描き続けなければならない。そしてまた彼にこの絵を見せるのです。

ねえ兄さん、この絵を見たら、彼はどう思うでしょう。また、笑ってくれるでしょうか?




19××年2月1日深夜、久崎家の次男・洸耶が、庭で笑いながら自身の絵画を焼いているのを使用人の一人が発見。
慌てて取り押さえるも、洸耶は意味のわからない言葉を繰り返し、他者の認識が出来ない状態であった。
同日、彼がアトリエにしていた離れで、屋敷に下宿していた書生・安藤暁が死んでいるのが発見される。
解剖した医師によれば後頭部の打撲痕が致命傷とのことだったが、他殺なのかまでは判断できず、結局事故死として処理された。
使用人たちによれば、洸耶は人嫌いであったが安藤とは不思議と仲が良く、だからこそ洸耶が彼を殺すなど考えられないとのこと。

その後、洸耶は神経衰弱と診断され、彼の兄であり久崎家の当主でもあった総一郎により静養所に送られた。
彼はそこで絵を描き続け、二十八歳で急逝するまでに十三点もの絵画を遺すことになる。
そしてそれらは全て、現在において高い評価を受けている。