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かえって免疫がつく

聖地バラナシの朝はガンガーでの沐浴で始まる。

「嫌だ」
「まあそう言わず」
「嫌だ嫌だ嫌だ! こんな河に入ったら病気になる!」

俺と奴は、聖なる河のほとりで手を引っ張り合っていた。

「インドだぞ、バラナシだぞ、ガンガーに入らずしてどうするよ!」
「入ったら死ぬ!」
「お前それはここにいるインド人たちに失礼だぞ」
「日本人だからいいんだよ! 水の国の人だからいいんだよ!」

俺が引っ張る。
ふんばられる。
ふと力が抜けると逃げようとされる。
また引っ張る。
以下繰り返し。
周囲のインド人の視線が痛い。日本人の恥ですいません。

「だいたいどこが聖なる河だよ、ひどいよこの色、綾瀬川より汚いよ!」
「大丈夫だって! だいたいなぁ、日本人は潔癖すぎなんだ、だから免疫力が低下してアトピーとかアレルギーとか蔓延するんだ」
「極論だ!」
「そうでもないぞ、だってインドやカンボジアにはアトピーいないからな!」
「……うそっ」

ふんばりが弱くなった。よし、あと一押しだな。

「嘘じゃないぞ、三度目のインドな俺が保障する。ガンガーは確かに汚いが、飲まなきゃなんともないんだ。俺だってホラ、元気元気」
「でも……」
「失恋して『もう何もかも嫌になった、俺もインドで自分探しをしたい、さもなきゃ大学やめて死にたい』って言ったのはお前だろ?」
「……おれだけど……」
「日本と同じ生活しててどうすんだよ、違うことしなきゃ新しく見つからないだろ」

勝った。

1分後、奴は腰まで水に浸かって、居心地悪そうに周囲を見回していた。

「ま、まあ入っちゃえばどうってことないか……」
「そうそう、どうってことないない。見ろよ悠久のガンガーの流れを……悩みなんかふっとぶだろ?」

二人で並んで目線を遠くにやる。日本には、都会にはない雄大な景色。
茶色い、ゆったりと流れるガンガーの水面。昇り行く朝の太陽の下、何もかもを押し流す大いなる自然。
ゆったりと、目の前を流れて行く、水死体。

「あ」

次の瞬間、奴は甲高い悲鳴を上げて俺の腕の中に飛び込んだ。

――ということがあったのが三年前。

「あ、また死体だ」
「大きさからして子供かしら」

俺と、奴と、インド仲間(アメリカ人女性)とは、並んでチャイなんかすすりながら、今日もガンガーを流れる死体を眺めていた。
二人でインドももう三回目。しかも毎回夏休み中ずっといるとなれば、そりゃもう馴染む。慣れる。死体や牛の糞や人糞くらいじゃ動じない。

「あのさあ」

奴がぽつりと呟いた。

「俺、昨日ガンガーの水ちょっと飲んじゃってさ」
「ええっ!?」
「下痢覚悟してるんだけど、さっぱり来ないんだよね。むしろ快便というか……」
「あら、もしかして便秘してたんじゃない?」
「あ、そうか」

インド仲間と二人で笑い合っている。

免疫つきすぎだ。心も身体も。

俺は無言でチャイをすすった。

「ねえ、そういえば今日宿屋に来たゲイのカップル」
「ああ、いたね」
「前に同じ部屋だったんだけどそれが――」

ものすごい猥談が始まった。

チャイを噴出した俺の横で、奴はやっぱり笑っている。
むしろ腹を抱えて大喜びしている。

「あっはっはっはっは、そ、そんなの入れるか普通!?」
「ねえ、入れないわよねえ」
「せ、せめてヘアスプレー缶とかさ……あはははは!」
「やだっ、この暑さで爆発したらどうするの、アッハッハ!!」

大盛り上がりだ。かなりクレイジーに。ラリってもいないのに。素で。

……そんな免疫までつけなくていいんだよ。

俺は目頭を押さえながら、聖なるガンガーに視線を戻した。
流れた河の水がポロロッカしない限り戻らないように、俺の好きだった、あの恥ずかしがりやで潔癖な、好みのタイプどまんなかでしかもゲイという好物件の同級生は戻らない。



ただ、その……すっかり図太くたくましくなった同級生のことが、最近気になるんだ。
俺にも免疫がつきつつあるらしい。人間って、すごいな……。