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喉仏

「子供の頃は歌手になりたかったのだよ」
林檎を口に運びながら、彼は言った。
「地元の少年合唱団に所属していてね。クリスマスには教会で賛美歌を歌ったものだ。
 周りから天使の歌声だと褒められて、その気になっていた」
「天使か。今じゃ悪魔の癖に」
精一杯の皮肉にも、相手は「その通りだ」と鷹揚に頷くだけだった。

「この林檎は少々酸っぱいな。日の当たりが悪かったか」
「暗闇の中で生きてきたあんたにはお似合いじゃないか」
「上手いことを言う」
怒るどころか、可笑しそうに喉の奥でくつくつと笑う。
そして、酸っぱいと言いながら、また次の一切れを口に運んでいる。
彼はこちらを僅かに見て「私は林檎が一番の好物でね」と言った。

「そういえば、かのアダムも林檎が好きだったか」
唐突に呟いて、彼は手元に視線を落とす。
「彼が林檎を喉に詰まらせなければ、私は天使の声を失いはしなかっただろうね。
 そうすれば今頃は歌手を現役引退して、神に祈りながら静かに暮らしていたかもしれないな」
「後悔しているのか? 今更……」

大勢の人間を踏みにじり、屍の山の上に君臨していたあんたが。
命乞いをする人間に慈悲の欠片も持たなかったあんたが。

「最期の最期で悔い改めれば、救われて天国に行けるとでも」
「ふふ、後悔などしておらんよ。仮にそうしたところで、君は私を許さんだろう?」

優雅に微笑んで、彼は最後の一切れを口に含み、咀嚼し、飲み込む。
皺だらけの喉元が、ゆっくりと上下する。
俺は銃を突きつけたまま、その喉元を見ている。

彼は俺を正面から見て、嬉しそうに――なぜか、本当に嬉しそうに微笑んだ。

「賭けは君の勝ちだ」