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移籍

最後の練習を終えた後、ひとり残って荷物の整理をしていたら、もうとっくに帰って行ったはずのあいつが、足音も荒く
ロッカールームへと戻ってきた。肩で激しく息をして、シャワーを浴びた髪もまだ生乾きのまま。

「今、フロントから聞かされて───本当なのか。あんた、移籍の件了承したって」
「早耳だな」

ロッカーにそんなに荷物を溜め込んでいたつもりはなかったのだが、足許に置いたスポーツバッグは許容量いっぱいだ。
このチームに在籍して3年、物理的な荷物の他にも色んな思いが交差して、俺は持ち上げたバッグを殊の外重く感じた。

「随分あっさりしてるんですね。チームに愛着がないわけじゃないでしょう?───あんたがいなくなったら、誰が俺に
シュートを決めさせてくれるんですか。あんな鮮やかなパスを、一体他の誰が俺に寄越すって言うんだよ」
「…上が決めたことだろう。チーム同士で折合いがつけば、金銭授受で移籍決定なんて当然のことだ。俺はプロとして、
チームの方針に従うだけだよ」

まだプロになって1年にも満たないお前には、少し苦い現実かもしれないけど───でも。

「俺がいなくてもチームは機能する。俺以外の誰かがお前にラストパスを送る。お前はそれを今まで通りに、ゴール目指して
蹴り込めばいいんだ。…それがお前の仕事だ」

俺の言葉に、まるで駄々っ子のように納得がいかないような視線を寄越して、けれどそれが正論だと理解してはいるのだろう。
悔しそうに眉根を寄せて、あいつは絞りだすような声で言った。

「…あんただけが、いつも俺の最高のシュートを引き出してくれた。俺はずっとあんたと、同じ方向を見て戦えるんだと馬鹿
みたいに信じてた。俺は、俺はあんたが───」
「言うなよ」

甘い言葉に引き摺られそうになりながらも、俺は毅然とした口調でそれを遮った。今はもう、聞いてはいけない言葉だ。
俺はお前と、明日からは戦わなければならないんだ。同じ方向を向かっては、もう走れない。俺は結構弱いんだ。本当は
すごく弱いから、お前からそんな言葉を聞いたら、きっともう戦えなくなってしまう。
がしゃん、と幾分乱暴に、空になったロッカーのドアを閉める。───首筋に、痛いくらいのあいつの視線を感じた。

「次に合う時は、ピッチの上だな。」

センターラインのこちらとあちらで。同じたったひとつのボールを追うのは一緒なのに、今までとは立場はまるで逆になる。
そうだな。移籍して、多分たったひとつだけいいことがある。試合中は、おまえはただひたすらに、俺のいる方向だけを
見つめて走ってきてくれるだろう。それはまるで恋に似た激しさで。

「俺はもう、お前にパスはやれないけど」

だけどいつか、パス以外の全てをやるよ。俺の全部、お前にやる。だからそれまでは。

「最高の試合をしよう」

お前とならきっとできる。───奇妙な確信に満ちた予感に、俺は少しだけ胸が震えた。