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日曜大工

降り止む気配は一向に無く、どうやら長雨になりそうだった。
軒の下ではおっさんが紫煙をくゆらす。今にも無精ヒゲに燃え移り
そうな赤い火は、そぼ降る雨の狭間にちろちろと揺れ、昼なお薄暗い
庭先に頼りない灯りを燈している。
煙草の量、増えたんじゃないかな。ぼんやりとあてどのないおっさん
の顔を気にしながら、俺は濡れそぼった前髪から飛沫を散らして金槌を
振り上げ、ガンゲンと不揃いな音を立てて板に釘を打ち付けた。

三ヶ月前、勤めていた警察庁を辞し、おっさんは警察官ではなく
なった。ちょうどその日、署を去り行く長い長いその廊下で、俺は
おっさんに体当たり気味の愛の告白をした。以前に起きた事件で知り
合い、関り合いになった頃から既におっさんは疲れ切った気怠げな目を
していたが、この時もやはり、俺は邪険に追っ払われかけていた。同僚
にも、職場にも愛想を尽かし果てていた時期だ、変な民間人に構う気力
すら残っていなかったのも無理は無い。が、俺も必死だった。今まさに
二度とくぐることの無いであろう出口に向かわんとするおっさんの道を
塞ぎ、脚に喰いつかんばかりの勢いで土下座して、
「犬、犬でいいから!俺を、あんたの犬にしてください!」
と、とんでもないことを口走ったのだ。俺を見下ろすおっさんの目は
一瞬にして凍りついた。思うに、長年「犬」と陰口を叩かれ蔑まれる
ような奉職を続けていたおっさんに、俺は致命的な間違いをしでかした
のだろう。否、そうでなくても嫌悪されて仕方の無いほど見事な
マゾっぷりを披露してしまったのだが、ともかく、そうして俺の立場は
決定した。「犬なら犬らしくしてろ」とおっさんは吐き捨て、その後ろ
をニョロニョロと、俺は這うようにしてついていった。

要するに、犬らしくすれば側に居てもいいという事だ。俺はそう解釈
し、その日から涙ぐましく奮闘し始めた。おっさんは俺が家の中に入る
事を許してはくれなかった。そのくせ自分は室内に閉じこもって散歩
にも出ようとしない。そんなだからヒゲは伸びるし、俺の犬小屋計画
にも気付くのが遅れたのだ。おっさんが引きこもっている間に、
おっさんの両親が遺したという六坪程度の裏庭には着々と資材が運び込
まれた。と言っても大した量はない、目指すのは大人一人が悠々と寝そ
べることの出来る犬小屋だ。天岩戸のごとくピシャリと閉めきられた
ガラス戸を尻目に、俺は設計図を広げた。板を揃え、ノギスを走らせ、
墨で線引き、鋸を振るった。帰る時には掃除もしておいた。恋に燃える
犬だからといっても、一朝一夕には完成させ難い。自分の職務もあった
し、何しろ自宅の建造なんて初めての事だった。そう、これが落成した
暁には、俺は一家一城の主となる。俺はおっさんの犬となって、
側近くに控えているのだ。属していた組織を離れ、独りぼっちになった
おっさんと、いつでも一緒に居られるようになる。犬はいつだって最良
の友だから、寂しい思いをさせはしない。不器用なりに完成を急ぎ、
仕事の日々を縫っては金槌を響かせる、俺の作業をおっさんが見守る
ようになったのはいつからだったか。咥え煙草の頬はこけてはいた
が、鋭い眼差しを意識せずにはいられなかった。
どこか遠くで鳴っていたはずの雷を、ふと耳元に感じる。悪天候の中で
つい没頭しすぎていたか。おっさんがすぐ側にいた。軒下でいつも暗い
目をしていたおっさんが、雨水に身を打たせ、金槌を振りかぶった俺の
腕をとどめるようにして掴み、俺の側に立っていた。
「もういい」久しぶりに聞いた声には、かつての棘はなく、
「もういいから、風邪をひく前に家に入ろう」「お、おっさん」
「犬は雷を怖がるものだから、家に入れてやる。それだけだからな」
おっさんは無愛想に、俺の合羽を剥いだ。
「お、おっさん、おっさん!」
玄関の扉からもれる暖かな光に眩みそうになり、俺は寒気と動揺と
嬉しさとでガタガタ震え、おっさんに縋った。おっさんは顔をしかめ、
「俺の犬なら、飼い主の名前ぐらい覚えるんだな」
そう言って、扉は閉められた。
なあおっさん、俺は室内犬になれるんだろうか。