※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

もういかなくちゃ

来る気はしていた。
だから今日だけは、部屋で一人待っていた。
気がつけば、俺の前にヤツは立っていた。
「…最後だから」
つぶやくようにヤツは俺にそう言った。
「うん」
色々言いたいことはあったのに、何も言葉にはならず、胸の中で溶けて消えて、
体の隅に黒く暗く溜まっていった。俺は手を伸ばすこともできず、ただ目の前に
出てきたその姿を見ていた。
ちょっと悲しそうな顔。丸めた背中。落ちた目線。
そんな顔するな、と言いそうになって、やめた。
「…あと何時間かいるんか?」
「いや、一言だけ言いにきただけ」
「何?」
俺の声は震えてなかった。
ただただ静かに、俺達は向かい合っていた。
「ありがとう」
あいつは笑顔を作ってそう言った。
「…最後にそんなこと言うな」
「俺、お前に会えて良かったわ」
「その言葉は、俺じゃないやつに言え」
俺の言葉に、ヤツは笑った。そして急に顔をゆがめた。涙をこぼした。
「結局、色々考えても何しても、俺にとって最後に会いたいのはお前だった」
泣きながら笑う姿に、あぁこういう状況でも涙って出るんだな、と感心した。
俺は涙をぬぐおうと手をのばした。
触れる。感触がする。涙がぬぐえる。水滴が俺につく。
「…本当に、最後まで、未練たっぷりでごめんな」
ゆがんだ顔で笑顔を作りながら、あいつはそうつぶやいた。
我慢しきれず、俺は思わず思いっきりあいつを抱きしめた。
あいつの腕が俺の背中にまわる感触を感じる。
それは何年も前に交わした抱擁と変わりなくて、思わず錯覚してしまいそうになる。
「礼も謝罪も、俺の方だから…」
その後は言葉にならず、息を吐くようにしてヤツの名前を呼んだ。何度も何度も。
離れていかないよう、強く強く抱きしめた。
しかしその感触は、抱きしめるたびに希薄になっていくように感じて―――
「お前と出会えてよかった」
「そんなん俺の方が」
「ありがとう」
「礼なんて言うなって」
「お別れしたくなんてしたくないけど」
「…」
「もういかなくちゃ」
あいつが、俺の背中から腕をはずした。
離したくなくて、俺は抱く腕に力をこめた。
しかしスルリと簡単にあいつは俺の腕からぬけだしてしまって。
「お別れや」
唇に風が弱くあたった気がした。
その風がヤツを感じた最後で。
涙をぬぐった時、あとかたもなくヤツは俺の部屋から消えていた。

誰も信じてくれなくていい。
四十九日。
この世とのお別れの日、ヤツは俺のところに来て、そして旅立っていった。