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さあ、踏め!

 それは突然の事だった。昼時、畑仕事をしていたおれ達の前に厳つい顔をした役人どもが現れおれ達を追い立てる様に奉行所へと集めた。
 奉行を含めずらりと並ぶ役人どもの姿に、すわ何事かと戸惑うおれ達の前へと投げ置かれたのは一枚の汚れた真鍮板だった。
(絵踏じゃ……!)
 泥にまみれたその表面に見える女の顔。弾かれるように隣のヨシロウへと顔を向ければ、ヨシロウは静かにじっとその板を見つめるばかりだった。
「前へ」
 奉行の声に一人ずつ村人が板の前へと連れ立てられる。皆心得た様に泥まみれの足で女の顔を踏みつけた。
「次」
 順調に事は済み、次にヨシロウが前へと進み出る。同心に促されるよう肩を押され板の前へとたどり着くと、ヨシロウは足を止め――跪いた。
 一気に奉行所がざわめきで満たされる。
「ヨシロウ! 踏まんか!!」
 思わず声を張り上げた。
「そんな板一枚ぐらい踏めっどが! おめ死にたかっか!!」
 慌てた同心に背を蹴られ頭を土へと押し付けられようとも、叫ばずにはいられなかった。
「さあ、踏め!」
 唇に泥を擦り付けながら尚も叫ぶ俺を、ヨシロウはいつものあの優しい目で振り返り。
「もうこれ以上、神には背けん」
 神、とヨシロウの口から出た事が決定打となり一斉に同心どもがヨシロウの体を地へと押さえつけた。
「離せ! 離さんか!! ヨシロウ!!」
 焦りで目の前が赤く染まるようだった。頭に乗る同心の足から逃れようと身を捩るも動かぬ体が身を裂く程にもどかしかった。
 おれと同じように頭を踏まれ地に擦り付けられたヨシロウが一瞬おれへと視線を向け。
「…リョウちゃん…っ、――――」
 おれの名を呼んだ後、紡いだ言葉は同心どもの怒鳴り声でおれの耳には届かなかった。いや、実際に声に出してはいなかったかもしれない。
 しかし、ずっとおれが欲しがっていた言葉だというのは、分かった。
 目を見開くおれにヨシロウはいつものように力が抜けたような間抜けな笑顔を浮かべると、慌ただしく奉行所の奥へと連れられていった。
 それが、おれが見たヨシロウの最後の姿だった。