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俺が君を壊しました

すえた臭いが鼻について離れない。悪いのは洗うつもりもなくおざなりにシンクに重ねた食器か、30分前にしこたま掻いた俺の汗か、それとも腹に絡んでかぴかぴに乾いた白いアレだろうか。
 白昼から不健全に締め切った狭い密室だ。空気が淀むのは無理もない。
 あるいは、この酷い臭いは俺達の内側が腐り落ちている証拠なのかもしれないな。

 俺は汗で湿ったシーツに背をつけて、白い粉を鼻から吸って束の間の天国にトリップする男の白い背中を眺めていた。
 くたびれて色褪せた若草色のカーテンがずれて、昼下がりの陽光が光の柱となって裸の背に降り注ぐ。太陽に暴かれた部屋の埃がキラキラと反射して、むき出しの肩甲骨の輪郭を曖昧に照らしている。
「……天使の羽だ」
 ぼんやり呟いた言葉は、俺のやさぐれた精神状態を反映してか意図せず嫌味っぽい響きになった。
 腕を伸ばして、骨の浮くうなじをくすぐると気だるい瞳が鬱陶しげにこちらに振り向く。
「羽なんてもんが有ったら、とっくに神にもぎとられてるさ」
 ……ああ、ごもっとも。
 お前はジーザスも真っ青な悪事ばかり働いた。浮気にクスリ、盗みにエトセトラ、挙げ句は男と逃避行。そう仕向けたのは俺だ。
 まっとうの更に上を行く、完璧な人生を謳歌していたお前がこうなると誰が予想できただろう。今隣にいるのが生涯を誓い合ったマリアのようなあの女ではなく、ケツの穴にザーメン引っ付けて汚れたベッドに寝転ぶやさぐれた男だなんて。

 会話になるだけ今日のこいつはまだマシだ。この間なんて酒と睡眠薬をバカみたいに煽って本当に天に昇りかけて、こっちが冷や汗掻いた。
 吐瀉物まみれのキスをして、お前の焦点ブレブレのいっちまった目を見たら、俺は哀れな男のありさまを笑うべきか悲しむべきか分からなくなって、半笑いでベソ掻いたままその痩せこけた身体を抱き締めたよ。

 一つ言わせてくれ。
 あの完璧な男が地位も家族もかなぐり捨てて禁忌の恋に落ちること、ここまでは俺の予想の範疇だった。
 男の瞳の奥で燃える情熱の炎に、気付くなという方が無理な話だ。
 けれど俺は忘れていた。ここはおとぎ話の世界じゃない。永遠に続くハッピーエンドなんてものは存在しなかった。
 ジーザス!お前が燃やしていたそれは愛の炎じゃない、猫をも殺すという何とやらだなんて。

「お前と出会ったのが間違いだった。ここは煉獄ですらない。何もない」
 そうだ、神を裏切って妻を捨てるようお前をそそのかしたのは俺。安い薬で最悪な現実逃避の仕方を教えてやったのも俺。
 ……だけど、ああ、そんなこと言うなよ。俺を選んだのはお前だ。
 たとえ俺がどんなに汚い手でお前を誘惑してこの甘い地獄に引きずり込んだからって、最終的な選択権はお前にあった。

 なあ、良家に生まれたサラブレッドのおぼっちゃんよ。ちょっと冒険してみたかったんだろ?道踏み外した気分はどうだよ?
 楽しかったのは初めだけ、なんて言わせないさ。
 別れを告げて解放なんかしてやるもんかよ。

「お前が、お前が俺を……」
「……なあ、もう一回セックスしようぜ。最ッ高に気持ちいいヤツ」
 俺は、男が最後まで言葉を続けることを許さなかった。
 うつろな目なんか見ない振りで、呑気に嘯くなり力の抜けた男の腕を引き寄せて強引にキスを。
 宗教画か何かのように麗らかな陽光の中で、唇で触れた唇は血の気が抜けて冷たかった。マリファナ臭いキスは長く続かない。
「お前は悪魔だ」
「……愛してるよ」
 ――死が二人を分かつまで――
 抱き寄せた裸の腰をまさぐりながら、薄っぺらい愛の言葉に続けて冗談っぽくささやく。意味を理解しているのかいないのか、男はひどく投げやりな顔で小さく笑った。