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受けさんはずるい大人です

結城さんは、こわい人だった。
高校の剣道部で出会った一つ年上の彼は、それはもう他の部活動の生徒の間でも噂になるようなスパルタで、当時からヘタレを体言したような根性なしだった俺はたっぷりとしごかれた。
そのあまりの容赦のなさに、入部当初の俺は密かに彼に“鬼”とあだ名を付けて、決して面と向かっては言えない愚直や悪口を心の中で吐き出したものだった。

だけど、そんな鬼のような彼が実はホラー映画が大の苦手だったり、ストイックな見た目に似合わず風呂上がりの楽しみはよく冷やした牛乳プリンだったり。――ちなみにこの牛乳プリンをこっそり他人が食べてしまうと世にも恐ろしい事態になるのだが、それはまた別の話である――
“先輩と後輩”という枠の中で交わされる他愛ない会話から時折覗く、そういう可愛い一面を見つける度に、俺は彼を好きになっていった。
そうして。俺がただの後輩から一歩踏み出して、いや、踏み外して、男で先輩の、そしてスパルタで有名な彼に告白をするまでにそう時間は掛からなかった。

結城さんは、かわいい人だった。
男から、それもヘタレの後輩から愛の告白をされて、彼は怒るでも軽蔑するでもなく、うろたえた。ただただうろたえて、「返事は少し待ってくれ」とか「気持ちはありがたいけど」とかごにょごにょ呟いて、ものすごく気まずそうに背中を丸めて去っていった。
――それからどうしてだか、返事を保留にしたままひたすらにぎくしゃくした気まずい三ヶ月間を経て、俺が諦めかけた頃に彼は俺を受け入れたんだ。
高校二年の春、彼と出会って一年の季節に、俺は晴れて結城さんの恋人になった。

それから四回の春を、俺たちは一緒に過ごした。
三年生の引退を前にした最後の大会、団体戦の準決勝で負けて初めて彼の涙を見た。高校を卒業するなり、イメチェンだとか言って金髪に染めてしまった彼を見て俺は肝を抜かしたっけ。
綺麗な黒髪の方が彼に似合っていたけど、傷んだ髪が汗でしっとりと湿るのを指で撫でるのも好きだった。
彼より一年遅れて俺が高校を卒業して、二人で安いアパートを借りて一緒に住んだ。結城先輩、じゃなくて結城さん、と呼ぶようになったのもこの頃だ。
俺が好きなビートルズの曲を彼が口ずさむようになった。真っ暗じゃ眠れないと言う彼に合わせて、俺は就寝前に部屋の明かりを弱く灯すことを覚えた。――抱き締めると、同じシャンプーの匂いがするようになった。
そうやって、俺たちはお互いのスタイルを少しずつお互いに馴染ませていった。そんな変化が楽しくて、愛しくて、これから何年だってずっとこうして居たかった。
結城さんは、ひどい人だった。
終わりは唐突で、説得や懐柔の余地すらなかった。
「もう飽きたんだ、別れよう。」
ありがちなセリフを涼しい顔で突き付けて、彼は荷物をまとめて出て行った。
昨晩までなんにも変わりなかったのに。数時間前ベッドの中で俺が欲しいといやらしくねだったのと同じ唇で、あんな、まるで壊れたテレビを捨てに出そうという風にあっさりと酷い言葉を口にして、彼は居なくなってしまった。
なにかの冗談かと思ったが、結局一日待っても帰ってこなかった。
着替えやこまごました日用品だけが持ち出され、二人分の家具がまるまる残された部屋で俺は途方に暮れた。
そのうち電話もメールも通じなくなって、そうしてようやく、俺は捨てられたのだと思い至り、遅れて押し寄せる怒りと悲しみで荒れに荒れたんだ。
一緒に暮らした日々は夢のようで、俺は彼の居ない日々を暫くバカみたいにぼんやりして過ごした。大学の単位落としたのはあなたのせいですよ、って毒づくくらいは許して欲しい。


――そうして、今日。
彼と別れて二年、出会ってから七年後の今日、手紙が届いた。

『あんな別れ方になって、ごめん』
『病気で、もう長くない』
『会いたいよ』
『まだ好きだ、ごめんな』
『もう、新しい恋人できたか?』

懺悔のように切々と綴られた長い手紙の内容は、飛び飛びにしか頭に入ってこない。
後悔と悲しみと、色んな感情が溢れ出しそうに詰め込まれた彼の言葉。彼が綴った言葉。

結城さんは、ずるい人だ。

――昨日、あなたの葬式でした。
棺桶の中の彼は痩せ細って高校時代のしなやかな身体は見る影もなくて、それでも二年間病魔と闘い切ったんだって、彼の母親は泣きながら気丈に笑ってた。
――ねえ、あなたはそれで満足ですか。俺から隠れて一人で闘って、それで良かったんですか。
友人に頼んで死んだ後なんかに俺に宛てて懺悔を送り付けて、そんだ回りくどいのはあなたらしくない。
どうして、傍に居させてくれなかったんですか。

聞きたいことも言いたいことも幾らでもあって、けれど彼がいってしまってから数日遅れで届いた手紙への文句は行き場がない。

結城さんは、ずるい人だ。

『思い出は、俺が持っていくから』
『俺を忘れて、幸せになれよ』

いっそこんな手紙欲しくなかった。いっそ、彼が死んだことなんて知りたくなかった。
そうすれば、俺はずっと彼を恨んだまま、あの幸せな夢に半分浸かっていられたのに。

彼とあまのじゃくと、俺のしつこさ。もしそこまで計算した上でのこの最後の言葉ならタチが悪すぎる。
――そうしてあなたは、俺の一生をゆるやかに縛り付けるんだ。

「……あなたは、ずるい人だ。」

呟いた言葉は、あの日と似た暖かな春の陽に溶けていった。