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もう好きにして

※軽く暴力表現あります


あの日、彼は唐突に、何の感慨も浮かばない目で言い放った。

「もう好きにしていい」

彼の言葉の意味が理解できなくて、僕の頭はフリーズする。否、本当は理解していたからこそ、理解できないフリをした。
「ぁ、え、と」
目を泳がせて、しどろもどろに声を洩らす僕に、彼は珍しく舌打ちさえもしなかった。
「お前を解放してやるって言ってるんだよ。散々、良いように利用してきた俺が言うのも可笑しいけど、こういうのやっぱ良くねぇよ。
忠犬ごっこはもうおしまい。好きにしていいよ」
彼の真っ直ぐな視線が僕の瞳を射抜いていた。
違うのに。違うのに、違うのに、という思いは頭の中をただぐるぐると巡るばかりで、喉元にすら迫り上がってこない。
彼は間違っている。今まで彼の命に従ってきたのは僕の意思で行なっていたことだ。
彼のたった一人の「犬」であることを僕は誇りに思い、優越感すら覚えていた。
それを取り上げられるのは、僕にとって絶望でしかない。

「あ、酒切れた」
「アレに持って来させりゃいいだろ」
立ち上がろうとする男を制して、電話を掛けた。アドレスを探すまでもなく、既に覚えてしまっている。
「今すぐ酒買って俺ん家来い」
ワンコールで出たアレに、簡潔すぎる用件だけを伝えてすぐに切る。
馬鹿な話で騒いでいたはずの男たちが、にやついた笑みをこちらに向けていた。
友人とも仲間とも呼べない、一過性の時間を一緒にするだけの存在ども。俺はコイツらが余り好きじゃない。
「随分、わんちゃんがお気に入りなんだな~」
下衆な笑いに、反吐が出そうになる。
どうしようもなく苛立ったのは、この言葉に酷く動揺してしまったからだ。
「便利だから使ってやってるだけだ。何なら貸してやろうか?」
「あんな気色悪ぃ犬、要らねぇよ」
ゲラゲラと不快な笑いが上がるのに比例して、俺の苛立ちは増した。
「お気に入り」と馬鹿にするように言われて、頭に血が昇ったんじゃない。
触れられたくない傷を、不躾に撫で回されたときの不快感に似ていた。
「遅ぇんだよ!」
30分もしない内に、言いつけ通り酒を持ってきた「犬」を殴りつけた。完全な八つ当たりだ。
「ごめん、次は気をつけるね」
理不尽な言葉と暴力を浴びせられたというのに、「犬」は口角に血を滲ませながら、ヘラリと笑う。
ゾッとした。
虐げられてるにも関わらず、ふにゃふにゃと邪気の無い笑みを浮かべる「犬」にだけじゃない。
それを見て、安堵した自分に、何よりもゾッとした。
本当は気づいていた。
付き合いの希薄なヤツらにまで指摘されるほど、この「犬」に依存していることに。
気づいていて、気づかないフリをするのが、急に恐ろしくなった。

「もう好きにしていい」

メモリから一つ消えた番号を、俺は未だに覚えている。
けれども、この関係な一方的なものであるから、彼が容易く断ち切るだけで壊れてしまう。
あっさりと僕の前から去っていった彼は、いま何をしているのだろう。

鳴らない電話を握り締めて、僕は涙を落とした。