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胡蝶蘭

その噂を聞いたのは、偶然だった。

『ある娼館に、絶世の美を誇る女性が居る』
『彼女見たさに様々な者が金を積むが、なかなか会うことを許されない』
『彼女の名は、胡蝶蘭』

ありきたりではあるが、私はとても、興味をそそられた。
何せ、正体不明ではあるが、『絶世の美人』だ。
しかも、ほぼ誰も彼女の顔を知らないとなれば、好奇心の湧かない男は居ない。
私が窓越しに町並みを眺め、ほくそ笑むと、ノックの音と共に、一人の青年が入ってきた。
黒い髪を後ろに撫でつけ、銀縁の眼鏡の似合う端正な面立ちの彼は、最近雇ったばかりの秘書だ。
名を、青嶋と言う。
「旦那様、にやけ面していかがなさいました?」「ん?今日こそは、あの胡蝶蘭に会わせて貰おうと思ってな。ようやく、それらしい娼館を見つけたんだ。他の奴に取られぬうちに、顔くらい拝みたいじゃないか」
「それは結構なことですが、これで何度目ですか?」
青嶋の整った顔に詰め寄られ、私は言葉に詰まった。
「二十……二、回位かな?」
「二十五回です。つぎ込まれた金額は、約五千万にのぼっています」
「なんで詳しく知っているんだ」
「帳簿管理をしているのは、誰ですか?」
「君、だな」
青嶋の眼鏡に光が反射し、どんな表情かは分からない。
だが、溜め息をついた所を見ると、どうやら呆れられたらしい。
「どのような者に熱を上げようと、それは旦那様の勝手です。ですが、一言言わせていただきますと、高価な菓子や着物、帯、その他様々な小物を矢継ぎ早に贈られても、相手は困惑するのではないですか?」
普段よりも、やや熱の籠もった訴えに、私のほうが困惑した。
だが、彼の言葉にも一理ある。
「じゃあ、何を贈ると良いんだろうか。絶世の美人だ、さぞ目が肥えて居るだろう」
私が溜め息を吐くと、少し考える素振りを見せた青嶋が、柔らかな声色で呟いた。
「蘭を」
「え?」
「胡蝶蘭を、贈ってみてはいかがですか?」
言われて、はたと気がついた。
確かに失念していた。
通り名にするくらいだ、きっとその花は、彼女の好きな花に違いない。
自身の浅慮さを恥入り、私は改めて青嶋に礼を告げた。
「ありがとう、早速手配するよ。そうだ、よければ君も一緒に来ないか?」
「申し訳御座いません、今日の夜は先約がありまして」
「そうか」
少し残念に思いつつ、私は直ぐに電話を引き寄せ、花屋に蘭を手配させた。
同時に、青嶋の口元が小さく動いた気がしたが、すぐにその事は忘れてしまった。
それ程、夜が来る事が待ち遠しくて、仕方がなかった。


「お待ちしてます、旦那様」