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懐いてる×懐かれてる


幽霊ネタ注意


チリ、チリと、夜風に吹かれて風鈴が鳴いている。ヒビでも入っているのか安っぽい無機質な音しか出さないが、ここのところ、そんなものは問題にならないほどの音害に悩まされる日々が続く。日が暮れるまでは蝉の放吟、月が出たなら蛙の合唱。そうして深夜ともなれば、俺の部屋を支配するのは幽霊のラップ音だ。
「騒いでも昼間は誰もいないからつまんなくってさあ。でも夜はあんたが帰ってくるもんね、頑張っちゃうよ、オレシャウトしちゃうよー」
鬱陶しい事この上ない。
背後からべたりと張りついてくる半透明の男を剥がそうという努力は一週間でやめた。俺の背中を特等席と決めたらしく、てこでも離れないのだ。自分の名前すら忘れてしまったというこのおんぶおばけ、俺が家にいる間は逞しくも色のない腕を肩口に回し、首筋にむしゃぶりついてはバキバキと怪音を立てる。郊外の借家で人家も他は疎らであるのが幸いだが、霊との強制二人羽織のせいで、盛夏だというのに震えが走って止まらない。

思えば、奴と会ったのは春も彼岸を過ぎた頃だった。格安の値に惹かれて古家に居を構えたその日の夜、騒音と共に天井からにゅるりとぶら下がってきたのだ。大して知恵の有りそうな顔ではなかったが、物は試しとアルバムを取り出し、鬼籍の者同士消息を知りはしないかと他界して
久しい父と母の写真を見せてみたら、会ったこともないという。ならばと成人せずに死んだ妹や事故で亡くした友人、声すら知らない祖父母に何時の間にかいなくなった猫など手当たり次第に写真を突きつけたが、どれにも首を振るばかり。終いには幽霊だからといって死人全てと顔見
知りではないのだし、そもそも自縛霊に横の繋がりを期待する方が間違いなのだと言い訳しやがる始末なので、役立たずめと罵ったら泣きが入った。あまりに辛気臭いのでそれなら仕方ない、幽霊でも構わんからお前が側にいろと命令したのだが、そこで仏心を起こすべきではなかったのだ。おかげで今のこの様だ。勝手に風呂について来ては湯船を冷やす。仏前にはミネラルウォーターを要求してくるし、野良猫には喧嘩をふっかける。おまけにこの悪寒。俺の最近の持病は冷え性だ。
「どうしたの、黙り込んじゃって。何を考えてるの、教えてよ」
てめえを成仏させる手段だよ、と胸中で毒づく。何で未だにフラフラしているのか聞いたこともあったが、さあね、何か執着を残してるんだろうねと頼りない。では死因が分れば手掛かりにならないかと思いもしたが、食中りか何かだったかな、とやはり曖昧で当てにはならない。
今が良ければそれで良いよと、おんぶおばけは刹那的だ。

「いきしゅん」
くしゃみをして時計を見上げると既に午前二時。八月十二日の丑満時だ。やたらと活きのいい背後霊を扱いあぐねていると、携帯電話がビリリと震えた。会社の後輩がメールを送ってきたらしい。添付されたフォトデータを開いた途端、俺は吹き出した。「先輩、愛してまっす」の書き文字とともに、唇を突き出した後輩の顔が画面いっぱいに広がっている。深夜には生者のテンションも上がるのだ。くつくつと笑いを堪えていると、バチリと目の前で火花が弾けた。
「誰、そいつ」
いつの間にか正面に立っていた幽霊が、パチリパチリと放電している。
「あのな、こいつは会社の後輩で」
「オレには、そんな顔して笑ったことないくせに。あんた、そいつが好きなのか?そいつはあんたにさわれるのか。忘れたの、最初にオレに側にいろって言ったのあんただよね。そいつの方がいいの? 生きてるから?」
「おい待てよ、お前のことは」
「あんたがオレを無視するってのなら!」
ポルターガイスト、いつも戯れに小石を放っているのとは桁違いの力で、俺の身体は壁に激突した。普段は漬物石一つ手伝わないくせに、この野郎。衝撃に梁や柱がゆらゆらと揺れ、大量の埃が舞う。入居した当初から掛かっていた「四面楚歌」の額から、バサリと何かが落ちてき
た。幽霊からは興奮が掻き消え、ただ茫然と浮いている。俺は腰をさすりながらそいつを拾い上げた。
「お前の執着って、もしかしてこれか?」
ボロボロに古びた日記帳だ。マジックで名前の書き込まれた表紙を、透き通った指がそっと撫でた。

「どうしてあんな所から降ってくるんだ」
「秘密の日記は秘密の場所に隠すものだよ」
近所の寺から、勤行の始まりを告げる鐘の音が聞こえてくる。幽霊と頭をつき合わせて相談した結果、中身も見ずに、庭で一切合財を燃やしちまうことにした。おそらくそれで奴は執着とやらから解放され、晴れて天へと召されるのだろう。寂しいかい、と顔を覗きこんでくるので、サ
ラダ油をぶっかけて即座に点火した。コンマ二秒の速さだ。
「あ、ちょっとひでぇや」
黒々とした煙が立ち昇り、黄ばんだ紙を橙色の火がなめていく。さながら二度目の火葬だ。芋が無いのが残念だ。
「オレは、あんたを残していくのが不安だ。変な後輩に渡したくねえし」
「幽霊に焼かれる世話は無いよ。さっさと逝け」
「そうじゃなくて、同じだ、同じだから分るんだよ、あんたは」
ゴオン、と寺の鐘が響く。どうせならと夜明けの太陽が一番照り輝く瞬間を選んだのだが、正解だったようだ。男の透明な体が光に満たされ、朝日と一体となる。
「ああああこんな事なら一回くらい取り憑いて鏡の前で一人エッチしとくんだったあああ」
「さ、最低だ、お前」
悪霊のような断末魔を最後に、幽霊は俺の前から去った。静かに燃え続けていたノートのページが熱に煽られて捲れあがる。八月の日付が見えた箇所を、俺は声に出して読み上げた。
「八月十日。独りぼっちで居続けるのは、寂しい。寂しい。寂しい」
なおも言葉の書き連ねられた部分が炭の塊に変わっていく。そんなものを書くことで紛らわせると思っていたのなら、あいつは本物の馬鹿だ。格好つけて自分の感情に背を向け続けていた俺は更なる馬鹿だ。ああ、でも俺と居た時は、あの野郎、寂しいなどとは一言も言わなかったな。
「八月十一日。小金が入ったので、明日は好物のフグを食べに行く。楽しみ」
最後のページを炎が呑みこむ。風に吹かれてチリ、チリと、風鈴が安っぽい音で鳴いていた。