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平民低身長×貴族高身長(のほほん)

「まったく、こんなご立派な靴で山道を歩けばこうなるってわかりそうなもんだけどな」
盛大にため息をついてみせながら、男は青年の白く伸びやかな足を手に取って眺めた。
くすみすら見当たらない肌理細やかな美しい肌に、泥がこびりつき、爪先は皮が剥け血がにじむ。
桶に水を汲んで洗い流してやると「ひゃっ」っと青年が声を上げた。
「冷たかったか?我慢しろ、こんな山小屋じゃ湯なんざ用意してやれねぇ」
「違う、傷にしみただけ」
じゃぁ尚更我慢しろと、取れかかってぶらぶらしている小指の皮膚をちょいと千切ると、青年は息を呑んで恨みがましい目を向けたが、黙って為されるが侭でいた。
泥のついた手で拭ったのだろう頬の跡が、まだ大人になりきれない幼い表情を引き出している。身体ばかりが先に成長して、今ではもう男を見下ろすほどの背丈になっても、まだまだ考えなしの子供なのだと思う。
昨日の雨で道は相当泥濘んでいたはずだ。服の彼方此方が泥で汚れている。平坦な道しか歩いたことがないと容易に想像がつくこの青年が、雨上がりの山道をよくもやって来れたものだと関心しながら、男はやはり呆れずにはいられなかった。さほど険しくはないといえ、山は山。一歩道を誤って迷いでもしたら、こんな軽装備で一晩とて過ごせはしない。
世間知らずじゃ済まされないぞと、呆れる一方で腹立たしくも思った。
「きれいな服がドロドロですよ、ぼっちゃん。靴だって中まで泥が入って、もう使い物にならない」
「だって、会いたかったんだ。店に行ったら、ここにいるって聞いて」
「それで?共の者も付けずに一人でいらしたんですか?ぼっちゃん」
少し不機嫌そうに、青年は押し黙った。
「まさか、また黙って来たのか?」
男の顔から視線を逸らせることでそれを肯定する。予想はしていたものの、男は天を仰がずにはいられなかった。深いため息が出て、肩から力が抜けた。
「…勘弁してくれよ。それで何度大騒ぎになってると思ってんだ」
「日暮れまでに帰れば何も言われないよ」
「日暮れまでにねぇ…俺はねぇぼっちゃん、あんたみたいにデカイ奴背負って山下るなんざ御免ですよ?ぼっちゃん」
わざと青年が嫌がる呼称を強調して、男は自らの憤懣をぶつける。
この足では、今すぐ出発したとしても日があるうちに山を出るのは不可能だろう。夜の山は慣れた者でも避ける。今夜はここで夜を明かすのが賢明ということだ。
それがわかったのか、青年は酷く落ち込んだ態で項垂れ、小さな声で「ごめんなさい」と謝罪した。
そんな萎らしい様を見ると、男はどうにも愛おしさが込み上げてきて全てを許してしまいたくなるのだが、立ち上がり棚の手ぬぐいを取りに行くことでそんな気持ちを断ち切った。
そして少し冷酷さを湛えた声を敢えて使うことにした。
「もう来ないでくれと言ったはずだな?」
いつもとは逆の立場で、椅子に座った青年を見下ろす。
数年前までいつも見えていた旋毛が変わらずあって、何だか懐かしく感じた。
青年は差し出された手ぬぐいを受け取ろうともせず、俯いたまま。
待っても返答がないので、追い討ちを掛けるように男は続ける。
「聞きましたよ、お相手が決まったそうで。日野の子爵のご令嬢といやぁ、たいそう美しいと評判」
すると青年は、男が最後まで言い終わらぬうちに目の前の男の腰に手を回して、顔を埋めるように抱きついた。
おいおいと、もう何度目かわからないため息を男はついて、青年の髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「…結婚なんかしない」
「それは無理だろう。お前は華族様の御嫡男で在らせられるんだから」
「会いに来るのもやめない」
「もう数えで二十歳になる男が、そんな駄々捏ねるんじゃないよ」
自らの優しく甘い声音に気付き、男は苦笑した。そしてもう一度青年の頭を撫でてから、腰に回された手をゆっくりと外し、足元へしゃがみこむ。
青年の目が自分を追うのを感じながら、知らぬふりをして濡れた足を拭く。
苦労をしらない白い足に、草木に付けられた無数の引っかき傷と、痛々しいほどの靴擦れ。自分のために彼が負った傷である。
「…好きなんだ」
頭上で消え入りそうな声が告げた。
知っているよそんなこと、そう返す代わりに、男は、青年の足の指を口に含んだ。

こんなことが伯爵家に知れたら、俺は生かしておかれんのじゃないかな?

そんな暢気な不安を抱えつつ。