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追い掛けられる悪夢

義也はいつも困ったような顔をして笑う。
「夜ね、よく眠れないんだ」
授業中、豪快に舟をこいでいた彼を起こしてやった時も
そんな顔をしていた。

それがきっかけでよく話すようになり
彼はちょくちょく俺の部屋に遊びに来るようになった。
俺は一人暮らしだったし、自宅にいるより気楽だったのだと思う。
彼の家が複雑な事情の下、父子家庭であり
しかも父親と折り合いが悪いらしいのは会話の端々から読み取れた。

眠れない、というのは本当のようだった。
初めて泊まりに来た夜、義也は酷くうなされた。
肩をゆすって起すと、息が荒く、体が激しく震えていた。
昔母親がしてくれたように、
やさしく腕を叩いて「大丈夫、夢だよ」と言うとわずかに震えが収まった。
「起きるにはまだ早いから、もう一回寝な」
すがるような瞳が揺れる。
「怖い夢見てたらまた起してやるから」
呼吸がすうっと落ち着いて、彼が今度こそ穏やかな眠りに落ちたのを知った。
翌朝、ちょっとばつが悪そうに、朝飯をおごってくれた。

そういう事がたまにあるけれど、彼はごく普通の
くだらない事で笑ったり怒ったりする、どこにでもいる高校生だったと思う。

ある日の深夜、義也がふらりと俺の部屋に現れた。
こんな時間に現れる事は今までなかったし、心此処にあらずといった風情が気にかかり
布団に入っても寝付けずにいた。
「起きてる?」
まんじりともしなかったのは、やはり義也も同じだったらしい。
ゆっくり話し始めたのは、今まで語らなかった彼の悪夢の内容だった。

大きくて黒い何かが俺を追ってくるんだ。
そいつのスピードも遅いのに、いつも振り切れない。
必死に逃げようとしても、どうしようもなく体が重くて
足がもつれて一歩も動けなくなる。
それがゆっくり近づいてくると、これから起こる事が怖くて怖くて
体がますますこわばって、そうしたらもう
すべてが通り過ぎるのを待つだけなんだ。

顔を壁側に向けて
かすかな震えを抑えるように少しずつ少しずつ話していた。
どうしたらよかったのか今でもわからない。
とにかく自分がついてる、と言いたかったのかもしれない。
「大丈夫」顔が見えないまま強く手を握る。
「怖い夢見てたら、また俺が起こしてやるから。」
強く指を握り返してくれたのが無性に嬉しかった。


夜明け前、何か暖かいものが唇に触れた気がした。
薄く目を開けると義也がいた。逆光で表情がよく見えない。
「夢だよ」
やわらかい声がする。
夢か現かわからない記憶はそこで途切れる、多分、微笑んでいた気がする。

翌朝目覚めたとき、義也はいなくなっていた。
同じ日、義也の父親の遺体が発見された。
父親が残した膨大な写真や動画から
恒常化した性的虐待が明るみに出るに至って
義也への容疑は決定的なものとなった。

騒動になったのもしばらくの間で、雑多なニュースに押し流され、忘れられていった。

彼はどこにいるのだろうか。
怖い夢は消えたのだろうか。
もう会えないのだろうか。

俺も時折夢を見るようになった。
闇に追われる彼を助けられない、そんな夢を。
「夢だよ」やさしい声に目覚めると、誰もいない。
目を閉じてゆっくり息を吐くと、戸惑ったような彼の微笑みが不意によみがえる。
胸を掴まれたように苦しくて、
どうしようもなく涙が止められない。