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教師二人

さあ帰るかと、車のキーを取り出しながら中庭を横切っていると、
どこからともく「花村せんせー」と名前を呼ばれた。
立ち止まって辺りを見回すが、薄暗い中には誰の姿も見えない。
「ここですここー。上です」
見上げると、二階の理科準備室の窓から同僚が手を振っていた。
「鳥井先生。まだ残ってらっしゃったんですか?」
若干声を張り上げると、「それがですねぇ」と呑気な声が返ってきた。
「ちょっと今、大変なことに」
「は?」
「花村先生、もう帰るんですよね?」
「え。あ、はい」
「もし良ければ、ちょっと時間とってもらえないですか」
「え?」
「お願いします。このとおり。俺を助けると思って」
二階から拝まれては「いえ、お先に失礼します」とも言えない。
仕方なく、キーをポケットに仕舞って第二校舎へ入って二階へ上がる。

理科準備室のドアを開けると、そこは真っ白な世界だった。
比喩ではない。本当に白かった。机も、椅子も、床も、粉まみれになっていた。
「鳥井先生、これは一体……」
「いやぁ、授業で使う重曹を袋ごとぶちまけてしまいまして。あはは」
白い世界の中で白衣を着た男は、能天気に笑っている。
「明日必要なんで準備をしてたんですが、大五郎にぶつかってしまって」
「大五郎?」
「そいつです」
指差す先には人体の骨格標本があった。
「ガイコツに名前をつけてるんですか?」
「俺じゃないですよ。昔からそういう名前らしいです」

骨格標本の他にも、人体模型やら鉱石の標本やら実験器具やらが置かれている。
準備室というくらいだから、本教室よりも物が多くて雑多なのは当たり前だ。
当たり前なのだが…
「なんだか、物凄く散らかってるように見えるんですけど」
「それが、重曹を拭こうと思って雑巾取ろうとしたら、そこの台にぶつかって」
「よくぶつかりますね」
「積み上げてた物が、ガラガラドーン!」
三匹の山羊ですかと言いそうになったのを飲み込んで「崩れたんですか」と相槌をうつ。
「そうなんですよ。連鎖反応って怖いですよねぇ」
「はぁ」
「お願いします、花村先生。片付けるの手伝ってもらえませんか」
また拝まれてしまった。
「お礼に、今度ケーキをご馳走しますから」
「いえ、別にお礼とかそういうのは……」
と言うよりも、何故唐突にケーキなのか。思考の展開がよくわからない。

「でも、知ったからにはこのまま帰るわけにも行きませんし。手伝いますよ……うわっ」
頷くやいなや、もの凄い勢いで両手をがし、と掴まれた。粉まみれの手で。
「ありがとうございます」
そのままぶんぶんと上下に振られる。まるで世紀の実験に成功した研究者だ。
「力を合わせて、跡形もなく片付けましょう」
「あ、跡形も無く?」
そこでその言葉の使い方はおかしくないだろうか。
「何の痕跡も残しておかないようにしないと。風見先生にバレたらどうなるか」
「風見先生?」
「今度こそ雷が直撃だ。容赦ないんですよ、あの人。
 あ。花村先生も、どうかこのことは黙っておいてください。ケーキに免じて」
「あの、だからケーキは別にいいですよ」
件の風見先生とは、別の理科担当の教師である。
以前にも何かやらかして怒られたのだろうか。失礼だが、容易に想像できてしまった。

「とりあえず。いきなり雑巾で拭いても駄目ですよ。高い所から順番にやらないと。
 最初は机や椅子を叩いて、それからから拭く。床は最後に掃きましょう」
「おお、なるほど。位置エネルギーに則るわけですね」
そんなに感心されても困るのだが。というか、その納得の仕方に納得がいかない。
ため息をひとつついて、着ていたコートを脱いで、腕まくりをする。
(帰れるの、何時になるかなぁ……)
自分の心配を他所に、彼は鼻歌を歌いながら、人体模型にかかった粉を払い始めている。
妙に楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
(……。頑張ろう)