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殺して?

「虫だ。ねえ、虫が入り込んでいるよ」
本のページをめくる手を止め、浩太の指差す方を見ると
一寸ほどのコガネムシが、机上に積んだ本の上にとまっていた。
「あぁ、もう暖かくなってきているしね。灯りにひかれて来たんだろうよ」
「こっちに飛んでくるかも、兄さん紙にくるんで殺してしまってよ」
3歳下のこの弟は、虫を過剰に嫌う。
蝶や蝉のぷっくりと膨らんだ腹部や、甲虫のテラテラと光る外骨格が耐えられないのだと。
彼にとって春は一番苦手な季節らしい。
「刺すような虫でもないし、放っておけばいいさ。朝にはどこかへ行ってしまっているよ」
読書を邪魔されたこともあり、少し投げやりに答えてやると、泣きそうな目をして私の持っている本をひったくる。
「やだ!ねえ殺して?眠っている間に行方が分からなくなるなんて気持ちが悪いよ」
自分の小指ほどもない生き物に怯え、当たり前のように殺せと言う。
これが子供の残酷さというものかと考えて、いや、こいつももう15になるのだと思い出し
今度は臆病な我が弟の将来が少し心配になる。
自分が15になった頃には、もう自慰も覚えて、こそこそと一人になれる場所を探していたものだが
浩太はいつも私の後ろについてまわっては、私と同じものを見、同じ事をしようとする。
そんな風にしてしまったのは恐らく私だ。
両親を亡くし祖父母に引き取られてからは
知らない町知らない人達の中で、自分が守ってやらねばと、ますます傍に置いて溺愛するようになってしまった。

「いいかい、私はもうすぐ東京に行ってしまうんだよ。これからはお前の傍についていて、いちいちお前のために虫を追い払ってはやれないんだよ」
「いやだ、兄さんどこへも行っては嫌だよ。どうして東京の大學へなんて行くのさ。お爺様の仕事を継ぐのなら、学問なんていらないだろ」
もう数日で私は上京してしまうというのに、本当に大丈夫だろうかと、腕にしがみ付く弟を諭しながら不安に思う。
「さ、虫を逃がしてやるから腕を放しなさい」
立ち上がって机の方に向かう、嫌いならば遠くで見ていればいいだろうに、弟は背中にしがみ付いてじっと成り行きを見つめている。
静かにコガネムシを手のひらの中におさめ、窓を開ける。
「・・・ずっと兄さんが付いていてくれなくては駄目だよ」
後ろで浩太が呟く。

いつかはこの弟も、私を必要としなくなる日が来るのだろうか
殺して、と悪びれもせず言うように、
もう兄さんの助けはいらないよと、当たり前のように言い放つ日が来るのだろうか。
独り立ちを促しながらも、どこかで私はそれを望まないでいる。

そんなわけにもいかないさ、弟と自分にそう言い聞かせて、小さな虫を逃がした。