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死亡フラグからのハッピーエンド

「こんな自分でも踏み台として役に立ちたいと今は切に願う」


 彼にどんな過去があるのか俺は知らない。
 だが夕暮れ時、降り出した雨を傘も差さずに佇み青空の見えない空を見つめて呟いた722の姿は、
雨に濡れ泣いているようにも見えて――俺はその瞬間、彼のことは一生忘れられないだろうと思った。

「彼は鷹になりたかったんだ」

 ベッドの上で懇々と眠るように息を引き取った722の姿を見下ろし、729はふっと表情を柔らかくして
722の穏やかな顔を見つめ言った。鳥という大きな括りでもなければ、優雅可憐な白鳥でもない、
雄々しい空の王者にの何を憧れ何を求めて722がそれに「なりたかった」のか。

 ただ治る見込みのない病をその身体に抱き、残り僅かな命を少しでも延ばす治療を拒んで、愛する
729と共に自由に生きようとした――722の想いなど、所詮半年ほどしか彼と付き合うことの出来なかった
担当医の自分には、分かりようもないことだ。
たとえそれを知ろうと願っても、彼に問うことは既に出来ないのだから。

「彼は嘘のつけない人でした。思ったことをすぐに口にしてしまうような、子供みたいな人でした」
 まだかすかに温もりの残る722の頬を撫で、729は懐かしそうに目を細めて語り始める。
「その為に……素直な気持ちで言ってしまったことが誰かを傷つけてしまうことも」
 一度だけ729は言葉を途切れさせ、白い天井を見上げて呟いた。彼の言葉に俺は、雨の日に見た722
の姿を思い出していた。祈るように空を見上げ雨に泣くよう佇んでいた俺の記憶の中の722に、729の
切なげな横顔が重なって見える。

 722は自分が亡くなったらこの身体は献体に出してくれと言っていた。恋人の胸に抱かれることよりも、
先の医療の為に自らの身を使ってくれと彼は言っていた。それが――彼の言う踏み台、なんだろうか。
 生命維持装置は故人の願いを聞き入れ、既に外されている。
 心停止の瞬間から過ぎた時間は既に絶望的で、彼はこの後スタッフによって引き取られ永遠に恋人と
分かれることになるだろう。722は献体後の遺骨は俺の手で処理してくれと言っていた。
 729の元には返さないでくれと。自分の欠片がのこっていれば、のこして逝った彼を苦しめてしまうからと。
 729は722の想いを受け容れていたのだろう。そろそろ時間かな、と名残惜しそうに722の頬から手を離した。

 ぐっと拳を握り、俺は込み上げる衝動を必死で堪えた。それは――医師として正しい行為とは言えない。
 けれどどうしても、どうしても俺は722を許すことが出来なかった。
 まだコイツには言わなければならないことがある。ここでこのまま大人しく逝かせてなんてやるものか。

 俺は白衣に突っ込んであった医療用のPHSから、一件の短縮番号を押した。
 俺がまだ研修医だった頃、ある患者から教えて貰った番号。

 この世にはどんな病気や怪我でも金さえ払えば治してくれる、奇跡のような闇医者がいるという。
 その男に切断した指をくっつけて貰ったんだ、と見せられた指は最初からついていたかのような、接合跡も
一切見られない見事なもので――過去にスリをやっていたという不届きな酔っ払い患者の戯言と流していたけれど。

 今はただ他に縋るところもなく、藁をも掴む思いでコール音の先に相手が電話を取ってくれることを祈った。
 10回以上のコールの後、もうダメだと諦めたその時――子供の声がしてそして――俺は無我夢中で叫んでいた。

「間、間医師でいらっしゃいますか!? 俺は××大学付属の医師で730と云います、どうか貴方の力を貸して下さい!」

夏を前に、日差しは既に強く、病み上がりの彼には些か眩しすぎるんじゃないかと心配したが、
彼は木々の陰の下で照れたように「暑いって感じるのも生きてる証拠だから、今はもう少しそれを感じたい」と
笑って言った。車椅子を押す729も俺を見てうなずく。もう医者ではない俺には、それ以上のお節介は出来ない。
 無理するなよ?とだけ言って、白い首筋に一枚タオルを差し出してやった。それを受け取り、彼は笑う。
 「ありがとう、730」と。彼に名前で呼ばれるようになって3ヶ月が過ぎた。
 俺は彼――722を「722さん」ではなく「722」と呼び、722もまた俺を「730先生」ではなく730と呼ぶ。

 それは722が死から奇跡の生還を遂げ、過ぎた月日でもある。
 奇跡の医者はその名の通り奇跡を起こし、俺は全ての責任を取って医師を辞めた。後悔はしていない。
 今は729と共に722の健康管理をしながら、知人の小さな診療所を手伝っている。
 俺と722の関係は現在友人の関係が出来ている。俺の気持ちは変わっていないが、彼に告白する気はない。
 伝えるべきことはもう言ったから。

「好きな奴置いてさっさと楽になる奴があるか!も一度生きて出直しに来い!だっけ?」
「……それで吹き返すお前もお前だよ」

 俺と722のやりとりに729が噴出して、俺と722もつられて笑った。

 7月も終わりに近付いている。俺はふと、気になったことを聞いてみた。

「――お前、今でも鷹に憧れてるのか?」

                                               end


……ごめんなさい。