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扇風機

 もう夏なのかな。
 梅雨の終わりの蒸し暑い晴れた日、僕は扇風機を出そうと思った。
押し入れに頭を突っこんで、箱を探す。
ああ、あった。たった一年で、すっかり埃をかぶっているじゃないか。
僕はベランダで埃を払いながら、彼のことを考える。
 夏とともにはじまり、夏とともに終わった関係。
アイスキャンディ、ビアガーデン、ナイター、夏祭り、花火。
脳を茹でられるような、体温とおなじ熱さの空気に支配された季節だからこそ存在した、
半ば朦朧とした、蠱惑的でいきぎれのするような思い出。
 まとわりつくような湿度をもった部屋と情動には大した役にも立たなかったが、
それでも敢然として扇風機は空気を攪拌し、また、夕立のあとのひとときには
ゆっくりと首をふって、僕らはそっと冷えてゆく汗に、つかの間の平穏を感じてた。

 最後の台風が過ぎて夏が終わると、どちらが言うともなく、ふたりは離れていった。
僕は豊かな秋を、暖かな冬を、芽吹きの春をすごし、
しかし心のどこかにあの夏の記憶を挟んでいた。
異なった季節のなかで思い出すしたその光景は、まったく夢の中のできごとのように、
派手で、嘘っぽく情熱的で感傷的で、また懐かしく見えた。

 いま、また訪れた暑い季節は、僕の肌に再びあの熱と湿度を呼び起こす。
腕時計の針は午後七時を指し、だがいつまでも明るさの残る空は、僕の本能を攪拌する。
そういえば彼が仕舞っていったんだったな、この扇風機。
他人が縛っていった結び目を苦労して解きながら、僕はそんなことを思い出した。
箱から機体をだし、軽く塵を吹く。と、なにかがベランダの足元に落ちた。
 ひょいと屈んで拾いあげると、白い封筒。裕輔へ、と書いてある。
薄暮れの明るさに目を細めながら開けてみると、一枚の折りたたまれた便箋に、短い文章があった。

 『また遊ぼうな、いつでも連絡してくれ。浩紀』

 僕は短く一度息をついてから、電話をとりに部屋にはいった。