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連弾

 僕はきどって燕尾服の襟をひき、フルコンサートのスタインウェイに向かい合った。
拍手が鳴りやみ、椅子を直すと、僕はすべてを予感させる最初のDを弾く。
雷のようなD。続いて異国的なアルペジオ。ああ、ハンガリア狂詩曲第二番!
その神秘的な旋律にはやくも酔いながら、僕は独り、うっとりと指を動かしていた。
 ──彼が現れるまでは。

 彼はそのつぶらな瞳に満面の好奇心を湛えながら、実に嬉しそうに現れた。
音楽のことなんか何も分かっちゃいないのに、しかし彼は音楽が好きなのだ。
実に屈託のない無邪気な笑顔で、ムラヴィンスキーにでもなったつもりで、
彼は小憎らしく僕の後ろで指揮をとる。ああ、鬱陶しい。
僕が一瞥すると、彼も睨みかえした。
すっと横に移動し、驚く隙も与えずにひとのスケールを横取りして弾いてみせる。
半ば感嘆し、半ばイライラしながらも曲を続けていると、腕にからみつこうと邪魔をする。
と、古きよき華麗な十九世紀の愛らしい旋律を、また勝手にすっと弾く。
慌てて彼に彼自身のような高音部をまかせ、僕は東欧の野趣溢れる低音部を奏でる。
 まるで連弾だ。
 そんなことを思いながらも、どうにか彼をどかし、気をとりなおして僕は曲を弾く。
また彼に鍵盤を奪われる──ラグタイムだ! まるでセッションだ。
負けてはいられない。強引に椅子を奪い返し、曲を元に戻す。
そして、クライマックス。僕はホロヴィッツにでもなったかのように、
ピアノが揺ぐようなロシアン・スタイルで圧倒的な狂乱のカデンツァを奏でる。
 僕はこのセッションでの勝利を確信した。

 と、最後の旋律にきて、彼が再び音楽上の主権を奪う。
僕は慌てて奪い返す。もうへとへとだ。さあ、華麗におしまいの和音を──引き戻された。
再度の奪還。今度こそ終曲だ──!
 指も腕も何もかもぐったりと疲れた僕の横で、喝采を浴びているのは彼だ。
気心の知れたお互い同士のスリリングなセッション。
そんな彼の邪魔のせいで、普段通りよりもはるかに素晴らしい連弾になったのは認める。
 しかし、どうしても納得がいかない──なぜ、いつの間にか彼がリードを取っているのか。
振り回されっぱなしで視界も朦朧とした僕を、彼が小憎たらしい得意満面の表情で一瞥した。
 ああ、本当に僕とこいつは、切ってもきれない腐れ縁だ。
それがいつまでも切れないことを心の隅で喜んでいる自分に気づかないまま、
僕は舞台の照明が落ちるのを見ていた。

 ──トムとジェリー "Cat Concerto"──