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想いを口にしたら終わりの関係

買い物を済ませて店を出ると、聞き慣れたカラコロという音が耳に飛び込んできた。思わず辺りを見回す
と、案の定こちらに向かってくる見慣れた姿があった。整えればそれなりに男前だろうに、相変わらず野
暮ったいやつだ。
呼びかけると、向こうも気付いて手を上げて応える。いい加減買い替えろというのに一向に聞かない、古
臭い便所草履をカラカラ鳴らしながら近付いてきた男に、俺は声をかけた。
「今日休みだろ? 何してんだ」
「洗剤切れたから、買いに行こうと思って」
「ああ、やっぱり。そろそろかと思って、今買っといた」
ほれ、と手に提げたビニール袋をちょっと持ち上げると、わりィな、と目尻を少し下げた。そこにわずか
にできる笑い皺が、俺は好きだった。
どちらから言い出すわけでもなく、二人肩を並べて家路に着く。
「今日の夕飯、何?」
俺の持ってる袋を覗き込みながら訊いてくる。
「寒いから鍋。水炊きだからって残さず、」
食えよ、という続きは袋と一緒に持っていかれた。隣の男は「俺柏好きじゃねえっつってんのに何で水炊
きなんだよ」と文句を言っている。
「……お前は嫌でも、俺は好きなんだよ。だいたい、好きじゃねえってだけでちゃんと食えるだろ。わが
まま言うな」
「そりゃ柚子胡椒があればの話で……あっ! そういや柚子胡椒切れ、」
「買っといた」
横から送られてくる、恨みがましく粘っこい視線を柳に風とばかりに受け流す俺に何を言っても無駄と悟
ったのか、「……皮はお前が食えよ」と肩を落として呟く。俺は苦笑した。
「お前は俺を太らせたいのか」
「そーだよ。お前はもうちっと太れ」
腹肉を揉もうと伸ばされた不埒な手を、俺はすかさず鞄で素早くガードする。夕刻の住宅街だ、大の男が
二人でじゃれあっても、とりあえず迷惑にはならない。
俺が仕事帰りに買い物してきた荷物を、何も言わずにさっと取り上げるような男とは、中学からの付き合
いだ。同じ高校へ進学し、大学は学部が別れたが疎遠にならない程度に顔を合わせて遊び、そして互いの
就職先が近いと知ったときはもう、笑うしかなかった。ここまで続いた腐れ縁だ、もう、どうせだったら
一緒に住むか? ――言い出したのは向こうだった。俺は頷いた。勢いだった。
こいつと『そういう』関係になったのも、勢いだった。
同居生活に特に問題はなかった。俺もこいつも細かいことは気にしない性質だから、部屋が汚れても相手
の習慣に目を剥いてもやり過ごすことができた。長い付き合いで、互いの超えてならないボーダーもよく
わきまえていた。気心知れた相手との同居は楽しいものだった。
ただ、暗黙の了解であるはずの一線が曖昧になることもあった。酒が入ると、つい調子に乗ってしまうの
だ、二人とも。自覚はあったので、浴びるように飲みたいときは自然、宅飲みになった。しこたま飲んで
「もう動けん」と倒れたそいつは、片づけをする俺をぼんやりと見上げていた。
「何だよ」
訊くと、「お前相手ならちゅーできるかなと思って…」などとほざく。飲みながら彼女ができないと嘆い
ていたのを思い出し、俺は笑った。拗ねて身体ごと横を向いたこいつに、侘びだと言ってキスした俺も、
大概酔っていた。動けはしても、しこたま飲んだのは同じだった。
そいつもさすがに驚いたらしく、目を見張っていた。俺はわけのわからない優越感ににやついていたのだ
が、こいつが驚いたのはそんなところじゃなかったらしい。
「……意外と違和感ないな」
呟くなり、腕を引かれて俺は畳に転がった。逆にキスを受けると、酒臭いのは否めないが、なるほど言わ
れた通り違和感はない。
目を瞑ってみると、より一層感触だけに耽溺できることを発見した俺は、つい調子に乗って舌を出した。
一瞬びびったようだが向こうも乗ってきた。ジーンズに手を伸ばされても、飲んだから勃たねえよと思っ
たが、なんと勃ってしまった。勃たされたのが悔しくて手を伸ばすと、俺が触るまでもなくしっかりと反
応していた。そのまま互いのものを擦りあって達した。荒い息を吐く俺に何を言うでもなく、動けないは
ずのそいつは風呂場へ向かった。
それ以来、毎回ではないが、飲むと互いに触れるようになった。正直キスは気持ちよかったし、吐精の快
感は言うまでもない。「入れたい」と言い出したときはさすがにぎょっとして、上か下かでかなり揉めた
が、公平を期して交代制ということで決着をつけた。…が、いざ入れる方になってみると俺の息子が役に
立たず、結局いつも受ける側に回っている。
しかしおかしなもので、『腐れ縁』という枠から大いに外れた行為に及ぶようになっても、普段は以前と
変わりない、気楽な日々なのだ。
あの部屋のどこかに、見えないスイッチでもあるんじゃないか、と考えたことがある。オフなら長い付き
合いの親友だが、オンになった途端、まったく違う空気に入れ替わっている。そしてスイッチを入れるの
は、大抵俺じゃなくて、こいつだった。
酒の勢いなんかじゃなくて、こいつは本気なんじゃないかと疑うことはある。だが、決め手がない。肝心
なことは言葉にしないやつだ、そのぶん目を見ればわかると俺は自負してる。けれど、確かめようという
ときに限って、いつも目を逸らされる。
それでも俺は、気の置けない相手と過ごす時間が心地よく、こいつから与えられる優しさが手放せなくて
、ズルズル、ズルズルと、ここまで来てしまった。けれど……
「どうした、ぼっとして?」
腕を掴まれて、ハッとする。
「あ、悪い……話聞いてなかった」
「いいさ。疲れてんだろ? 早く帰ろうぜ」
そういって、カラコロと先に行ってしまう。追おうとすると、足先が何かに突っかかる。普通に歩いてい
ればなんということはない段差だった。しかしさっきのようにぼんやり歩いていれば、蹴躓くだろう。
「なあ……」
早足で隣に戻った俺の問い掛けに、相手はなんだという顔を向ける。
――お前がはっきりしないから、俺、告白してくれた会社の子にいまだに返事できねえんだよ。その子は
はっきり言って若くないし、これが最後だと思ってるんだろう。つまり、真剣なんだよ。だから俺もきち
んと応えたいんだ。だけどお前は俺のことどう思ってるかなんて、言わねえし。俺も、お前にほんとうの
こと吐かすような根性ねえから、訊けねえし。だからもう……俺、引っ越そうかと思ってんだ。
よっぽど言ってやろうと思った。しかしこいつはいとも簡単に俺の言葉を封じた。――たった一瞬のキス
で。
掠めるような口付けとはいえ、往来だし、誰が見ているかもわからない。呆然とする俺を放って、またも
一人で先に行ってしまう。慌てて抗議しようとしても、上向いて「あ」と声をあげ、唐突に空を指差す。
「ほら、見てみ」
「は?」
「一番星」
別にそんなもの珍しくも――と言おうとして、言葉を失った。一番星の輝きの強さを見たのは久々な気が
する。西の空に残る赤は見事だが、どこか未練がましく、ふと悲しさが胸をついた。
「空あっかいなー。こんな日はやっぱりキムチだな!」
なにが「やっぱり」だ。往生際悪く苦手なものを回避しようとする男の足掻きに苦笑が洩れる。そんな俺
をあいつが見ているのが、暗がりの中でもわかった。

気がつけば、家はもうすぐそこだった。