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ハンドクリーム


 あの人を最初に見つけたのは、夕暮れ時の窓際だ。
 軽く握った拳の上に頬を乗せ、時折ゆるりと瞬きをする。
 その姿に――その手に意識を奪われた。

 あの人の手は素晴らしい。
 爪の形や、指の関節から関節までの長さ、手首から親指にかけて通る線。
 甲に浮く骨は、皮膚に覆われ隠されているにも拘わらずその白さが想像出来る。
 折り曲げた指の創り出す鋭角、広げた皮膚の隙間に出来る窪み。
 どれをとっても素晴らしい。
 素晴らしい手だ。

 最初、写真を撮らせてくれと頼んだ時、あの人は酷く白けた顔をして見せた。
 何がそんなに良いのだと。
 その時僕は逆に問いたかった。
 一体何故、君はその手の素晴らしさに気付かない?
 肩口から肘へ、肘から手首へ、手首から爪先へと伸びるその「手」が。
 何をしていても、どんな仕草でも、一枚の絵のようにぴたりと枠に嵌る。
 その爽快さに何故気付かないのか。

 写真を撮りたいと告げた僕に、あの人からの明確な返答はなかった。
 それを無言の了承とし、僕はあの人に纏わるようになった。
 上から見ても、下から見ても、斜めから見ても陽に透かしても、あの人の手は
見飽きることが無い。
 その一瞬一瞬を絵として収めていく作業は至福だった。

 僕が写真を撮っている間、彼は決してこちらを見ない。
 僕の存在など無いものとして扱うように、時に本のページを繰り、時にペンを走らせる。
 その無関心さがまた堪らない。
 変に取り繕うことをせず、ただあるがままにあるがままの姿を見せるあの人の手を
僕は愛した。

 あの人からは、何か甘い匂いがする。
 花ような蜜のような。
 強くではない。
 時折ふと鼻腔に触れ、その時初めてその存在に気付くような。
 そんな極些細なものだ。
 それがあの「手」からするのだと気付いた時には、心が震えた。
 まるで昆虫を誘うようにして、あの花は、あの手は甘い匂いを放つのだ。

 触れたいと願うようになるまで、そう時間はかからなかった。

 あの甲に、あの指に、あの爪に拳に掌に骨に中身に。
 触りたいと。
 僕の中に芽生えた第二段階とも言えるべき欲に、あの人は気付いただろうか?
 こちらを見ないあの人は、きっと気付いてはいないだろう。
 いや、見ないからこそ気付いているかもしれない。
 視線はこちらを向きはしないが、あの匂いは真っ直ぐとこちらに向けられている。
 さあ来いと。

 しかしいけない。
 長く愛したいと願うからこそ、この欲に負けてはいけない。
 あの人の指に触れる時、それは僕があの「手」を破壊するということだ。
 あの人の身体から切り離し、宝物にして大事に仕舞ってしまうだろう。
 それではいけない。
 僕は「あの人」に付属しているあの手を愛しているのだから。

 ああけれどまた甘い匂いがする。
 においにひきよせられるいってしまいそうになるはらのそこにおしこめてころしづつけて
きたことばをあなたにさわりたいとあなたにさわってもいいですかとそのからだをそのてを
そのにくたいをたましいをいしきをこきゅうをいのちをすべて
 ぼくのものにしてもいいですかと