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猫耳執事

「坊ちゃま、引っ張らないでください……とても痛いので」

壮年男性の頭部からにょっきり現れた獣の耳―――シュールだ。
ぴくぴく動くこの三角形はおそらく猫のものだ。髪をかき分けてまじまじと観察してみる。
接着剤や何かでくっつけたわけではなく、頭蓋骨から生えているらしい。
痛いというからには神経も通っているのだろう。
「……どうしてこうなった」
猫耳の起始部を無遠慮に見つめながら、青年は問うた。
「……存じません。朝起きたら生えていたものですから」
執事は俯き、耳を伏せてため息をついた。
頭から猫の耳が生えていることを除けば常と変わらず、有能な使用人達のまとめ役である。
しかし鹿爪顔も優雅な立ち居振る舞いも、この猫耳一対が全てを台無しにしている。
「これは……面白いな」
青年はもはや引っ張るだけでは飽きたらず、柔らかな耳介をつまんだり指で押しつぶしたりし始めた。

「何をしている」
熱心に猫耳を弄る青年の背後から、唐突に声がかかった。
屋敷の主人、青年にとっては父親たる人物である。
「ああ、父さんか。今面白いところだから邪魔しないで欲しいな」
「彼はうちの使用人であってお前の所有物ではない。
 あまり勝手をするようなら、それ相応の罰を与えることになるが」
声音は穏やかなようでいて、芯は凍り付くように冷たい。
これ以上の戯れは危険と判断し、青年は肩を竦めて去っていった。
「旦那様」
主人が助け船を出すのは珍しいことではあった。
しかし状況が状況だけに、執事は素直に感謝した。
「助かりました。メイド達は私を見てあからさまに笑いを堪えているわ、
 坊ちゃまには好き勝手いたずらされるわで、もう……」
朝からの経緯を説明すると、主人は同情的な微笑を浮かべて肩を叩いた。
「君も大変だったね。息子には私からきつく言っておくから、どうか許してやって欲しい」
「いえ、そんな―――」
「ところで私は猫が好きだ」
執事の言葉を半ばに遮って、唐突に主人は言った。
「そうでしたか、それは初耳です」
執事はさりげなく目を逸らし、努めて無表情を装った。何やら嫌な予感がする。
「君だって猫の耳を生やしている以上、より猫らしく振る舞う義務があるのではないか」
「…………」
「たとえば、語尾に”にゃん”をつけるとか」
「は?」
「”旦那様、ご奉仕しますにゃん”とか、まあそういった感じだ」
猫は人語も喋らなければ”にゃん”などとふざけたことも言わない。
幼児にも分かる世界の常識を、執事はあえて口にしなかった。
端から無駄と分かっていることはやらない主義だ。
「下々の文化に毒され過ぎです。私の語尾が妙な具合になっても、誰も得をしません」
頭から獣の耳が生えるという事態は突拍子もないが、主人の言動は更に予想の斜め上をいく。
冗談か本気か、長年仕える執事にも判断しかねた。
「でも君、猫になったんだろう? そのくらいはいいじゃないか」
「猫ではありません、執事です。沽券に関わるのでそういうのはご容赦ください」
執事は辛抱強く言葉を重ねたが、主人は何か別のことを考えているふうだった。
基本的に、聞きたいときにしか人の話を聞かない男である。
「ふぅん……」
呟きながら、主人はじりじりと距離を詰めてくる。
執事は反射的に二の腕を掴んで押しとどめようとした。
「ちなみに”下々の文化”では、殊に耳が敏感ということになっている。君の場合はどうなのかな」
主人は猫耳の辺りに触れようとしたが、両腕を抑えられていて文字通り手が出ない。
代わりに顔を近づけ、耳介の内側を舌先でなぞった。
「―――っ!」
執事はきつく目を閉じ、無意識のうちに強く爪を立てて息を殺す。
数秒も続けると、熱っぽいため息が漏れた。主人は漸う満足して身を離した。
「なんだ、やっぱり猫じゃないか。物騒だから、夜伽のときは爪をしまっておいてくれ」
痛む二の腕をさすりながら、主人は苦笑した。