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嫌われ者のたった一人の理解者

「にげろ!あいつだ!」
先生が廊下を歩くと、入院しているちびっ子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。大きな体を揺らすように、のしのし歩く先生は確かに怖い。
体が大きいだけじゃなくて、目つきも悪いし声も低い。
物言いはぶっきらぼうで、看護師さんたちに対して厳しく怒鳴りつけているところをよく見かける。
そんな先生だけど腕はいいから、このあたりの小児科では一番患者が多かったけれどみんな先生を怖がっていた。

「待たせてすまない……、……なんだ、また君か」
診察室で待たされていた俺のところへ、先生が急ぎ足でやってくる。けれど俺の顔を見た途端、呆れたような顔をされた。
「うん。今日は風邪引いたみたいでさー」
そんなことは気にせず、俺はシャツのボタンを外して先生を待つ。のしのし歩いて、どかりと椅子に座った先生はポケットから聴診器を取り出した。
「……君もいい加減小児科でなく内科に行ったらどうだ。もう高校生だろう?」
「やだ、先生がいい。ところで先生ってば、また子供たちに逃げられてたね。俺も昔は先生のこと怖かったなあ」
昔、虚弱だった俺はこの病院に小児ぜんそくで入院していたことがある。
当時の俺はチビでバカで弱虫だったから、毎日診察にやってくる先生が怖くて泣いてばっかりいた。
「君が僕の患者の中で一番の恐がりだったよ」
先生は俺の服を捲り上げて聴診器を当てながら、苦々しく呟く。俺が笑うと、「静かに」と咎めるようにじろりと睨まれた。
「でも一番懐いてたのも俺でしょ」
「ああ、どこに行くにも着いてくるんで、邪魔だった」
「酷い!」
そこまで言われるほど先生を怖がっていた俺がどうして先生を慕うようになったのかと言うと、入院していたある日の夜、発作を起こした俺に先生が一晩中つきっきりで看ていてくれたからだ。
発作は先生がいち早く気付いて処置してくれたおかげですぐに収まったのに、先生はその後も泣きじゃくる俺の傍でずっと手を握っていてくれた。
「苦しかったな」とか、「もうすぐお母さんのところに帰れるからな」だとか、俺が寝付くまで優しく慰めてくれていたのだ。
たまたま他に入院していた子供がいなかったおかげで、俺はその夜、初めて先生の優しさを知った。

明くる日からよくよく観察してみれば、先生は理由もなく怒る訳じゃないと分かった。
心配しているから怒る。ただ言い方が不器用なだけだ。
どうやらそれを知っているのは、俺だけだったけれど。
それから俺は先生が大好きになって、昔の虚弱ぶりや小ささが嘘のように成長した今でもこの病院に通い続けている。
最初はただ純粋に大好きだった先生に対する気持ちが恋に変わったのはいつだったか、もう忘れてしまった。
子供の頃はあんなに大きく見えていた先生の背だって追い越した。
しかしそのせいか年を追うごとにどんどん体が丈夫になって、近頃じゃ風邪をひくのだって一苦労だ。
真冬に水を被って髪も乾かさず寝たって、ぴんぴんしている。今日も半分は仮病みたいなものだった。
だからそろそろ、先生の元へ通う新しい理由を作らなければいけない。
「大した風邪じゃない。一応薬は出しておこう」
「はーい。……ねえ先生、ところで俺、看護学校受けるって知ってた?」
「いいや、今初めて聞いたな」
先生はちょっと意外そうに眉を上げて、俺の服を直す。
本当は自分で出来るのに、俺は黙って先生にが俺のボタンを一つずつ留めていくのを見ていた。
「とっくに合格圏内なんだ。ねえ、俺、看護師になるからさ、そしたらここで雇ってくれる?」
「…………給料は、安いぞ」
「そんなの、全然いいよ!」
笑ってぶんぶんと首を振る。給料なんか関係ない。俺は先生の一番傍にいて、誤解されやすい先生の一番の理解者でありたいだけだ。
言質を取ったと喜ぶ俺に「全く変わった奴だな君は」と言いながら先生はおかしそうに笑った。