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煙草の匂いのするマフラー

見慣れた通学路は一面白く染まり、粉雪は瞼に落ちる。
すっかり踏み固められた雪を蹴飛ばしながら家路を急いでいる僕の隣で、
見慣れない黒い車がブレーキをかけた。
「なにしてんだ」
「…先生」
窓から顔を出した男は担任でも顧問でもなく、国語の受け持ちの教師だった。
車内からは女子の目がいくつも覗き、僕を物珍しそうに眺めている。
「誰ー?」「せんせ塾あるから急いでよー」そんな甲高い声を気にも留めない先生は
「こんな時間まで残ってたのか?」
と面倒臭そうに僕に聞いた。実際面倒臭いのだろう。
普段から好きで教師になった訳じゃないと公言して憚らない駄目教師だ。
女生徒から人気があるのも顔がそこそこ整っているという幸運のお陰に他ならない。
僕は委員会の仕事をしていた旨を話した。奥歯がガチガチと鳴っている。
「僕も乗せてくださいよ」
「やだよ。俺こいつら送ってかなきゃ駄目だもん」
先生の後ろからまた歓声があがる。「うっそー」「嬉しいくせにー」黙れよ。
大体僕が何度教室と職員室の間を行き来したと思ってるんだ。
先生が身支度を整えたタイミングを見計らって駐車場で待ち伏せしてたのに、
横から飛び出して来てとっとと車に乗り込みやがって。
いつだったか僕はいじけると唇が尖るからすぐ分かると言っていた先生は
僕の様子を察したのか今までで一番面倒臭そうな顔をした。
「じゃあこれ貸してやるよ」
そう言って冷たい風が少しでも入ってこないように少しだけ開いた窓から、
紺色のマフラーを渡された。

じゃあなと言ってすぐに窓を閉めようとした先生に、僕は慌てて声をかけた。
「これ、いつ返せばいいですか?」
「あ?」
「いつですか?いつ…」
僕があまりに勢い良く聞き返すので、
女生徒は怪訝な表情を浮かべ先生は一層面倒臭そうに眉間の皺を増やした。
実際面倒臭いのだろう。
普段から俺は話の通じない子供が嫌いだと公言して憚らない駄目教師だ。
僕との関係にしても物分りの良い子供を演じ続けている僕の努力のお陰に他ならない。
マフラーを握り締める手に力が入った。この位の我侭すら許されない関係って何だ。
睨みつけるような僕の目と先生のだるそうな目が合った。

「お前俺の家は知ってるな」
「あ…はい前に弁論大会の打ち上げで行きました」
「なら今夜返しにおいで」

その途端に車内で笑いが起こった。「せんせーそれ酷いよ」「今夜吹雪じゃん」
でも僕は笑っていなかった。僕だけが笑えなかった。
呆気に取られている僕にじゃあ今夜なと言って車を出した先生の横顔は、
明らかに笑っていたけど。

首に巻いた紺色のマフラーからは微かに煙草の匂いがした。
冬の澄んだ空気に消えてしまいそうなほど微かだったけど
間違いなくそれは先生の匂いだった。


「…禁煙したって言ってたくせに」

吹雪の中でも来いだなんてとんでもない駄目教師だ。
だけど僕はこの永遠と続く訳のない関係を愛しむ様にゆっくりとその匂いを吸い込んで、
高く冴えきった青空に向かって白く長い息をはいた。