立ち切れ線香
「第36回文化祭、文化部連のテーマは『恋-LOVE-』だ。例年通り、舞台・出展人気アンケート各一位には報奨金をやる!以上!」胡散臭い長髪の文化部連長兼写真部長の一言が事の発端だった。「何が『恋-LOVE-』やっちゅうねん、ケイタイ小説か」文化祭まであと二ヶ月といった所で発表されたテーマに不満たらたらなのは、落語研究会員である。普段は真面目で口数も少ないのだが、それは気性の荒さと方言むき出しの毒舌を隠すための手段に過ぎなかった。「会議ゆうたかてあの長髪が勝手に一人でテーマ決めて喋っただけやん」「決まったもんは仕方ねーじゃん、でもこれは俺ら演劇部の圧勝だな。落語で高校生オトせる恋愛噺はキツいだろ?」演劇部員は頭から湯気を出しそうな連れと真逆に、余裕綽々でゆったりと歩いている。「ああ?なんやお前、うちの部にケンカうっとんのか!おし、じゃあぜったいアンケートで演劇部に勝ったるわ」二人肩を並べて会議室から帰っていたが、落研員はくるりと半回転し演劇部員に盛大なタンカを切る。「へえ、どうやって?勝算あんの?」「うるさい、成せばなるんや!今から考える」文化祭終わるまでお前は敵や!と言い残し、肩を怒らせて落研員は部室へ走っていってしまった。「こらぁ長髪!舐めとんのか!」落研室の隣は写真部の部室兼暗室だった。普段なら明かりを入れて良いか確認してからドアを開けるのだが、怒り心頭の落研員はいきなりドアを開けた。とたんに鼻を突く現像液の刺激臭と、普段は感じない妙なにおいに鼻をつまむ。「長髪!いるんやろ、でてこい!」だらだらと長いのが恒例である文化部連会議、その初っ端にテーマだけ宣言して中座した不届き者を大声で呼ぶ。「ちょいまち!タンマ!」暗室を区切るカーテンの向こうに人の気配があるので、遠慮なく部屋の奥に進もうとすると鋭い声が上がった。少し間があり、上半身裸でベルトの金具も外した状態というだらしない格好の長髪が現れる。「なんやお楽しみやったんかい、なら出直すわ」「だいじょーぶ、もう終わったから」「終わったてまた生々しい、ってそんなこと言いにきたんや無い」がりがりと音を立て椅子を二つ引き寄せた長髪は、取り合えず座るように促す。「なんやあのテーマ。不平等もええとこやないか、もうちょい周囲の意見も聞け」「ええー良いテーマだと思うんだがね。やっぱ青春といえばLOVEでしょう」「おおさむ、お前真顔でそんな事言うキャラやったんかい信じられへん」「恋は人を変えるんだよ?」不意にカーテンが開き、中から生徒会副会長が現れさらに寒いことを言った。あからさまに情事のあとをにおわせる二人に、落研員は顔をしかめる。「このテーマは俺の副会長にささげる愛だ!大掛かりでいいだろう?」「学校の私物化かい」ムードに当てられながらも、突っ込んでしまうのは落研員の性か。「それにしても、キミがこんなに面白い子だと知らなかったよ」「!、あ、いや、そんなことは無いです」「今更取り繕っても無駄だよ」すっかり猫をかぶるのを忘れていた落研員はあわてて口をふさぐが、後の祭りである。くすくす笑う副会長は、さも面白そうに目を細めたのち、いい事を教えてあげると落研員に耳打ちをした。「演目、立ち切れ線香、なんてどう?」------------------------------------------------------------------------------------文化祭当日までとうとう演劇部員は落研員と一回も話すことなく過ごした。お互いに文化祭の準備で多忙を極めていたせいもあるが、落研員が徹底して顔を合わせるのを避けたためである。打ち合わせの会議にも別の部員が出るようになり、元々クラスも遠く授業で一緒になることも無かった。小学校からずっと一緒で何気なく何時も傍にいる存在だったために、意識して避けられただけでこれだけ会えないとなると絆の危うさを知ってしまった。メールを打ってもそっけない返事しか帰って来ず、電話に至っては常に留守電。こころにぽっかりと開いた穴に、自分でも驚きを隠せなった。完璧に覚えて自分なりのアレンジも加えた演劇の甘い台詞も妙に上滑りしているような感覚がしてならない。でも、それも今日でお終い。勝ちでも負けでも明日からは又落研員と並んで過ごせるだろう。------------------------------------------------------------------------------------「首尾はどーだいっ!」恋愛写メ企画を展示して、見事盛況を勝ち取っている写真部部長・長髪はご機嫌だ。逆にぎりぎりまで根を詰めて噺を練っている落研員は目の下に隈をつくり、幽鬼のようなありさまである。今だ副会長と落研の部長と向かい合い、噺の最終調整をしているようだった。「噺自体は良いのが出来てるんだけどねえ」副会長が含みのある表情で、長髪を手招きする。何だ、と近寄るとくすりと笑った後小さな声で囁く。「彼、恋愛したこと無いんだって。だから役が浮いちゃうんだ」「ああーまた難題だなあ、そりゃ」身一つ、音曲もなしで表現する落語は、噺の出来が語り手の資質によって大きく依存してしまう。テクニックでカバーすることも出来るし、経験不足であることを逆手にとる事も出来るが、高校生の実力でさらに客も高校生中心となると、やはり素直に感情に訴える事に勝るものは無い。「うー、このままやと負けてまう。それは嫌や、あいつに舐められんのはいやや」「あんまり唸ると禿げるぞ!お、丁度もうすぐ演劇部の出演時間じゃないか、敵情視察!」唸っている落研員を無理に引っ立て腕を掴むと、長髪はずんずんホールへと向かった。「演劇部はえげつない方法で人気取りしてるぞ」「へーそうなん」先輩の話はきちんと聞け、と文化祭パンフレットでぽこんと後輩を殴る。そのまま渡された演目案内に目を通すと演劇部の欄には『スミレ【椿姫現代版】』とあった。「俺、演劇とかようわからへんねん。どんな話?」「すっごい要約すると、娼婦と世間知らずの青年のラブストーリー、ヒロインは死ぬ。かな。演劇部からの情報によると、生きるために体で稼いでるスミレとお金持ちの天然イケメンが恋に落ちて、スミレがわざと天然を誤解させて身を引き、しかし最後は天然に見守られながら白血病で死ぬ。みたいな話にしてるらしいぞ」「それちょっと前に流行ったドラマそっくりやん」「だからーえげつないって言ったのー」そうこうしているうちにホールに着き、ホール内に長髪の権限で無理やり進入する。確かに内容は陳腐寸前だった。しかしスミレのすねた表面とひたむきな内面が上手く表現されており、さらに演劇部員が天然イケメンを熱演したことにより、観客の女性は皆夢中になっていた。最後、お金も身寄りも保険も無く病院にかかることの出来ないスミレは白みがかった血を流しながらイケメンの胸に崩れ落ちる。『ばか、私にかかわらないで。ふつうの女の子としあわせになってっていったのに』『喋らないで、今から俺が病院に連れて行くから。一生かかってもスミレの治療費は俺が払うから』泣きながら、鼻水さえたらしながらイケメン-演劇部員はスミレを抱きしめる。ホールには観客のすすり泣く音がさざめき、長髪すら少しぐっときているようだった。しかし、落研員の胸中は妙に冷め、感動とは程遠い感情に晒されていた。(なんや、俺がひとりで悶々としとったあいだ、あいつは毎日女の子抱きしめてでれっとした台詞吐いとったんかい)理性では、自分が落語を愛しているのと同じくらい彼が演劇を愛している事は解っていた。しかし実際に演技とはいえ、目前でいちゃつかれると穏やかではいられなかった。意識して避けまくっていたとはいえ、落研部員も二ヶ月間寂しかったのだ。一人で帰る夜道や一人で乗る通学電車には慣れないし、休みの日もうっかり『一緒遊びいかへん?』と電話しそうになる。意地を張ってしまった手前、自分から折れることは出来なかった。でもそれも今日まで、今日勝負がついたらまた何事も無く一緒にいられるだろう。勝ちたいけど、彼の熱演を見ると負けても仕方ないかという気になってしまった。「すっきりした顔してどうしたんだい?」落研の高座控え室で待っていた副会長は、ホールから帰ってきた落研員の表情を見て軟らかく尋ねた。「ん、いや、演劇部の劇が思ったより凄かってん。もうだー泣いてるお客さんとかおったし。凄すぎてなんか気負ってたのがあほらしゅうなったわ。俺も二ヶ月頑張ったし、気負わんでさくさくいこかっちゅう気になったんや」さー着替え着替え、と奥に向かった落研員を横目で見つつ、本当のところはどうなんだと目線で長髪を促す。「いや、言ってた通りなんじゃないの。普通に感動してたみたいだし」「そうなのかな?…、で演劇部の彼のほうはちゃんと呼んでるの」「呼んでなくても来るだろー」部長、副部長の前座としての一席だったがお客の入りは良かった。しかも思ったより女性教師や大人の客が多く、いけるんちゃうか、と落研員は心の中で一人ごちた。立ちきれ線香。落語の中では珍しく笑いに落とさない悲恋物語である。真面目一辺倒だった若旦那が親父の代理で出た会合で出会った芸妓に一目惚れ。その芸妓も小糸という名前の初心な妓で二人は恋に落ち、若旦那は実家の金に手をつけてでも芸妓の元に通うようになる。さすがに度の過ぎた若旦那の行動に怒った父親は番頭に命じ、百日間息子を蔵に閉じ込める事にする。「百日間、長いなぁ。そんな百日も……/いやなら乞食になれ、勘当や/い、嫌やない。嫌やないけど、せめて五十日/なりまへん。こっちおいなはれ!ガラガラガラ、ピシン! と鍵がかかった」百日たって、頭の冷えた若旦那は蔵から出ることを許される。そして番頭からある事実を伝えられた。「あんさんが蔵へお入りになった次の日、これ(小指)から手紙がまいりました。次の日が二通それから四通、次は八通と、まぁ倍増しにドンドンドンドン手紙がまいりましたが…、八十日目にふッつりと途絶えたんですわ」いてもたってもいられず、若旦那は番頭をまいて芸妓の元へと駆けつけた。「何やこれ? 位牌なんか出して…、釈尼妙…俗名小糸…、何で死んだんや?大きな声を…「何で死んだ」やなんて言われたら若旦さん「あんたが殺した」と言ぃとなりますがなな、なんで?若旦さんが来られへんようになってから、あの子、もぉご飯も喉通らんよぉになりましてな…手紙の返事も無い、もう若旦さんには会えへん、そう言ってあんたからもろた三味線抱えていけなくなったんや」熱をいれ、喋っている間、今まで感じたことの無い感情が落研員の胸に湧き上がった。会いたい。いままでずっと一緒にいたのに、急に遠ざかってしまって。でも、届かない。まあ自分の場合は勝手に意地を張っているだけだが、寂しさは同じだろう。小糸、若旦那、やっと俺お前らの気持ちが解ったわ。寂しいな、会いたいな、どうしようもないな。気持ちがノったまま最後まで演りきると、今まで聴いたことの無いような拍手が客席から沸いた。なんだかおひねり的なものまで飛んできている。頭を下げながら袖にはけると落研部長ががば、と抱きついてきた。「すごいぞ、おまえ本番に強いタイプだったのか!俺このあと演りたくないなー」「いや、俺もここまで気ぃ入れて演れたんは初めてです」そして、控え室の入り口で入ろうかどうしようか迷っている影。「なんや、俺の噺聞いとったんか!」呼びかけると、がらりとドアが開き二ヶ月ぶりに向き合う演劇部員の姿があった。「うん、良かった。良かった…」「何やお前泣いとるんか、さっきは二百人以上泣かせとった色男が」なんだかんだ言いつつも違和感無く接する二人を、周囲は温かく見守った。「ねえ、あの二人もどかしいんだけど」「だーいじょうぶまかせて、アンケート結果発表と後夜祭でも作戦がある!」「じゃあ生徒会の方も前面バックアップするから、教えて」その後、姑息な先輩カップルに嵌められることになろうとは、このときの二人は知る由も無かった。でも一つだけはっきりしていることがある後夜祭のキャンプファイアが消えた後も、噺と違って二人の時間は続いていくのだろう。
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