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来ないで
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だめだよ、と言って彼は笑った。
「どうして」
「まだ根を上げるには早すぎるんじゃない?もうちょっと頑張りなよ」
「俺は十分頑張った」
「まだ、まだだよ。君にはまだ、与えられた分が残っているだろう?」
そう軽い口調で俺を窘める目の前のこいつを、少しだけ睨みつける。
俺は今まで、精一杯この世の中で頑張ってきたはずだ。
俺の頑張りを俺の傍で見ていなかった奴に、何が分かる。
「あ、今ちょっと失礼なこと考えたでしょ」
「人の思考を読むな!」
「見てたに決まってるじゃない、そこら辺の草の陰から」
「な、うわ、お前そんな悪趣味な奴だったのか」
「別に、誰も彼もを覗き見してるわけじゃないって」
君だからだよ、
少しだけ目の前の男から身を離した俺との距離を詰めるように、
一歩こちらへと近づいたそいつは、俺の耳元でそう囁いた。
頬が熱くなり、半ば条件反射の様に囁かれた方の耳を押さえ、飛び退く。
「っ、この変態!」
「変態で結構」
しれっとそうのたまった目の前の男は、俺と目を合わせると少しだけ笑った。
こいつと最後に会ったのはもう何年も前のことだ。
柔らかい、感情が読み辛く俺を度々惑わせたその笑顔は、久し振りに会ったというのに全く変わっていなくて。
その懐かしさに胸が軋んで、鼻の奥がツンとした。
「相変わらず泣き虫だね」
「っうるさいな!」
「でも、泣き虫の君にしては、良く頑張ってる」
食ってかかろうとした俺をいなすように抱きしめる腕も、変わらない。
温度の低い手が、あやすように俺の頭を緩く撫でる。
「別に、僕の分まで頑張れとは、言わないよ」
耳元にそっと囁かれる、声の感触に耐え切れずに涙が溢れる。
「やだ、もう」
「大丈夫、君が頑張りきるまで僕は待ってるから」
「そこら辺の草の陰で?」
「そう、覗き見しながら」
くすくすと笑い合う、その声が少しずつ小さくなって、そっと消える。
俺を撫でる手は止まらず、そして言い聞かせるようにこいつの声が耳元で響いた。
「君は、君が与えられた分の命を生きるんだ。
それまで、僕を追ってこっちに来ちゃいけないよ」
ふと目が覚める。
あいつがいない事に耐え切れず走ってきた、深夜のマンションの屋上。
どうやらフェンスを乗り越えたその先で、街の灯りを眺めながら眠ってしまっていたらしい。
深呼吸を一つして、目をしっかりと開いた。
夢と現の間で逢ったあいつの声、笑う顔、手の感触、その全てを覚えている。
「帰る」
小さくそう呟いて、フェンスに手と足を掛ける。
もう、どんなにきつくても、泣き言を容易に口に出すのは止めよう。
草の陰で俺を見ているらしいあいつに、今度会ったときに絶対笑われてしまうから。
振り返ることなくフェンスを登る俺の頬を、温い風が撫でていく。
夏が、すぐそこまで来ていた。
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