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義兄弟 ---- 姉さんの3回忌に訪れた墓所で、俺と義兄さんは静かに手を合わせる。 親代わりになって歳の離れた俺を世話してくれた姉さん。 それを陰から支え続けてくれた義兄さん。 福祉課の職員と相談に訪れた市民という、色気の欠片もない出会い方をした二人は、バレンタインデーに告白して、ホワイトデーに返事をするという、今時小学生でもやらない幼稚で不器用な恋愛を経て結ばれた。 なのに、たった一年足らずで姉さんは逝ってしまった。 義兄さんは今も変わらず、市民の良き相談相手として働きながら、大学に通う俺の面倒を見てくれている。 まるで困っている人に尽くすことが、人生の生き甲斐みたいな人だ。 「お腹空いただろう? 何か食べて帰ろうか」 「はい」 合掌を解いた義兄さんの、眼鏡の奥にある瞳が少し潤んでいる。 二人に見守られて十代の後半を過ごした俺は、両親がいなくても十分に幸せだった。 本当に、二人には心から感謝している――だから、この気持ちは二人への裏切りだ。 姉さんが短い生涯で一番愛した人を、俺はこれから傷つける。酷いことをして、消えない罪を背負わせる。 どうしてこうなったのか自分でもわからない。けれどもう決めたことだ。 義兄さんはきっと苦しむ。悩みすぎて頭がおかしくなるかもしれない。もしそうなっても俺がずっと側にいる。義兄さんと俺は、これから先もずっと一緒だ。 姉さんが天国で待ってたとしても、俺と義兄さんはそこには行けないだろう。 地獄まで義兄さんを連れていく俺を、姉さんは決して許さないだろう。 神様は選択を間違えた。姉さんではなく、俺を連れて行けばよかったのに。 それとも、こんな俺だから神様も側に呼び寄せたくなかったのだろうか。 「晴れてよかった。来週からは雨続きらしいから、むし暑くなるよ」 「もう梅雨入りしましたからね」 こんな会話ができるのも、あとわずかな時間だけ。 義兄さんの、こんな穏やかな笑顔が見られるのも、あと少しだけ。 「――義兄さん」 「うん?」 「お話したいことがあるんです」 「話? どんな話?」 「できたら、家に帰ってゆっくり聞いてもらいたいんですけど、だめですか」 少し考えるような顔で、それでも微笑んで頷く義兄さんの目は優しい。 「いいよ、たまには男同士でじっくり語ろうか」 「はい」 そっと俺の背中をたたく、義兄さんの手。 そこには今でも、姉さんを愛している証拠が薬指に光っている。 義兄さんの、一生分の愛情を持って、遠いところにいってしまった姉さん。 だから、残りは俺が全部もらう。 ――いいよね? 姉さん。 出会ってから付き合うまで約二年。付き合ってから結婚するまで一年と少し。結婚生活は一年足らず。 妻が亡くなって、もう二年以上が過ぎてしまった。 今日は3回忌の法要で久々に妻の眠る墓所を訪れた。妻がこの世で誰より大切にしていた義弟と一緒に。 妻を見送った日は、ひどい雨が降っていた。 傘を差し、最後まで墓石の前を離れなかった義弟は、一粒の涙も流していなかった。 僕は泣き腫らした目で「君は強いね」と声をかけた。 義弟は振り向きもせず、真っ直ぐに立って「もう三人目ですから」と呟いた。 その声があまりに淋しげで、僕は傘を放り出して義弟の肩を抱いた。 嗚咽を上げる僕に、義弟は自分の傘を差しかけてくれた。肉親全てを失った彼のほうが、ずっと辛いはずなのに、慰められたのは僕のほうだった。 妻がいなくなった家に、今は二人で住んでいる。大学を出るまでは面倒を見させてほしいと、僕が願い出たからだ。大学を卒業するまで、自分がしっかり世話をしたいと言っていた妻の気持ちを、僕が成し遂げてやりたかった。 ――けれど、本当は僕自身が淋しかったのだ。淋しさに耐え切れなかったのだ。 義弟の強さに、僕は知らぬうちに甘えていた。 一回り以上も歳が離れている彼に、自分の淋しさを押し付け、背負わせてしまった。 悲しみを分かち合えるのは義弟しかいなかった。義弟の存在だけが、僕の生きる支えになってくれた。 涙を流して悼むほどの悲しみは通り過ぎたというのに、未だに薬指の指輪をつけているのは、半分は妻への思いだが、もう半分は義弟への依存心からだった。 もしも指輪を外してしまったら、義弟は僕の側から離れていってしまうかもしれない。僕を残して、どこか遠くへ行ってしまうかもしれない。 妻を悼み続けることで、義弟を縛っておけると考える僕は、誰から見ても最低の人間だ。 けれどもう少しだけ、彼の強さに甘えて、縋っていたかった。 こんな僕の心を知ったら、彼はどう思うだろう。 大切な姉を預けた男が、こんな脆弱な心の持ち主だとわかったら、失望し、軽蔑するだろう。 だから隠し続けなければならない。今はまだ、彼を失うわけにはいかないのだから。 墓石の前に並んで立ち、僕と義弟はそっと手を合わせる。 こんな僕に、大切な弟を残して逝ってしまった妻への、懺悔の時間だった。 ---- [[他校の後輩>26-899-1]] ----

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