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悪堕ち ---- 「おや、これは手ひどくやられたものだね」 獄につながれた青年は床の上で上体を起こし、声の主をねめつけた。 その鋭い視線を受け止めて、壮年の男は白々とわらってみせた。 数日に渡る拷問は精悍な面差しに濃く疲労の影を刷いていたが、心は折れていないようだった。 絆の力が、青年をあちら側につなぎ止めている。 その強さを、男は認めざるを得なかった。 しかし、いかに密な結びつきとて弱点がないわけではない。 やり方さえ間違えなければ、思いの強さを逆手にとることも出来る。 しばし言葉を吟味して、男は穏やかに語りかけた。 「君が何故これほどまでに頑なな態度をとるのかは分かっているよ。 我々に与しないことで”あの男”に義理立てしているつもりなのだろう?」 青年は応とも否とも答えなかったが、聞こえていることは確かだった。 男は気にするふうもなく話を続ける。 「あれはひどい男だ。君のことなど、精々使える手駒としか思っていない。 君は命すら捧げる覚悟のようだが、向こうがどれほど君の価値を認めているのか、甚だ疑問だね。 ……一度でも、君の手柄を褒めたことが?」 青年の表情がぎくりと強張る様を観察しながら、それ見たことかと胸のうちで嘲笑った。 付け入る隙を与えたのは奴の手落ちだ。 ひたすらに鍛え、正しい方向へ導いてやることだけが愛だと信じて、 常に青年の行いを厳しく律してきた。その結果がこれだ。 十の叱責のうち一度でも、甘い言葉をかけてやればよかったのだ。 「長年そばにいながら、君の思いに応えようとはしなかった。 はっきりとした態度をとることもしなかった。それは――」 「やめろ!」 青年は動揺もあらわに叫んだ。聞きたくないといいたげに激しく首を振ったが、 両手を拘束されていては耳を塞ぐこともできない。 「――君をつなぎ止めておくのに都合がいいからだ。君の力を、ていよく利用したのだよ」 青褪めた顔に、ゆっくりと絶望の表情が広がってゆく。 男は青年の傍らに片膝をつき、冷たい頬をそっと撫でた。 「かわいそうに。今までさぞ辛かっただろう……」 揺れ動く心のうちを男は的確に読んでいた。あと一押しでおちる。 決定打となる台詞は、あらかじめ用意してあった。 顔を寄せ、息がかかるほど近くで囁く。 「あの男を捕らえることができたら、君にくれてやろう。好きなようにするといい」 青年の双眸に暗い光が宿るのを見届けて、男は満足げに頷いた。 「君はあの男が認めるよりもよほど優秀だ、私にはわかる。 これからは私のもとで、その力を存分に揮いなさい」 「……仰せの…ままに」 青年はうなだれたまま、ついに掠れた声を押し出した。 男は目を伏せ、無意識に古傷の継ぎ目を指でなぞった。 実際、青年は優秀な懐刀になることだろう。 純粋なものほど染まりやすく、狂わされたと気付いても既に後戻りは叶わない。 彼は運命を選んだのだ。 かつて、自分がそうしたように。 ---- [[ヘタレ×天然>12.5-69]] ----
悪堕ち ---- 「おや、これは手ひどくやられたものだね」 獄につながれた青年は床の上で上体を起こし、声の主をねめつけた。 その鋭い視線を受け止めて、壮年の男は白々とわらってみせた。 数日に渡る拷問は精悍な面差しに濃く疲労の影を刷いていたが、心は折れていないようだった。 絆の力が、青年をあちら側につなぎ止めている。 その強さを、男は認めざるを得なかった。 しかし、いかに密な結びつきとて弱点がないわけではない。 やり方さえ間違えなければ、思いの強さを逆手にとることも出来る。 しばし言葉を吟味して、男は穏やかに語りかけた。 「君が何故これほどまでに頑なな態度をとるのかは分かっているよ。 我々に与しないことで”あの男”に義理立てしているつもりなのだろう?」 青年は応とも否とも答えなかったが、聞こえていることは確かだった。 男は気にするふうもなく話を続ける。 「あれはひどい男だ。君のことなど、精々使える手駒としか思っていない。 君は命すら捧げる覚悟のようだが、向こうがどれほど君の価値を認めているのか、甚だ疑問だね。 ……一度でも、君の手柄を褒めたことが?」 青年の表情がぎくりと強張る様を観察しながら、それ見たことかと胸のうちで嘲笑った。 付け入る隙を与えたのは奴の手落ちだ。 ひたすらに鍛え、正しい方向へ導いてやることだけが愛だと信じて、 常に青年の行いを厳しく律してきた。その結果がこれだ。 十の叱責のうち一度でも、甘い言葉をかけてやればよかったのだ。 「長年そばにいながら、君の思いに応えようとはしなかった。 はっきりとした態度をとることもしなかった。それは――」 「やめろ!」 青年は動揺もあらわに叫んだ。聞きたくないといいたげに激しく首を振ったが、 両手を拘束されていては耳を塞ぐこともできない。 「――君をつなぎ止めておくのに都合がいいからだ。君の力を、ていよく利用したのだよ」 青褪めた顔に、ゆっくりと絶望の表情が広がってゆく。 男は青年の傍らに片膝をつき、冷たい頬をそっと撫でた。 「かわいそうに。今までさぞ辛かっただろう……」 揺れ動く心のうちを男は的確に読んでいた。あと一押しでおちる。 決定打となる台詞は、あらかじめ用意してあった。 顔を寄せ、息がかかるほど近くで囁く。 「あの男を捕らえることができたら、君にくれてやろう。好きなようにするといい」 青年の双眸に暗い光が宿るのを見届けて、男は満足げに頷いた。 「君はあの男が認めるよりもよほど優秀だ、私にはわかる。 これからは私のもとで、その力を存分に揮いなさい」 「……仰せの…ままに」 青年はうなだれたまま、ついに掠れた声を押し出した。 男は目を伏せ、無意識に古傷の継ぎ目を指でなぞった。 実際、青年は優秀な懐刀になることだろう。 純粋なものほど染まりやすく、狂わされたと気付いても既に後戻りは叶わない。 彼は運命を選んだのだ。 かつて、自分がそうしたように。 ---- [[ヘタレ×天然>12.5-069]] ----

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