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枕返し --- 「あれま、まだ起きてんのか」 深夜。能天気な声が頭上から聞こえてきて、僕は机の上の問題集から顔をあげた。 振り返ると、男が一人、まるで鉄棒にぶら下がっているかのように天井から釣り下がっている。 男の腕は天井を透過していて、その先の手までは見えない。天井裏の梁にでも掴まっているのだろうか。 ものすごく異様な光景だが、僕は動じない。もう慣れたからだ。 黙ったままの僕に痺れを切らしたのか、男は場の空気を取り繕うようににかっと笑った。 「いやはやどうも。なんかよーかい?」 「……それはこっちのセリフ」 僕は溜息をついた。 「いつから天井下りに転職したんだよ」 問えば、男は更に愉快そうに笑う。 「天井から下がれば天井下りだろうなんて、安直だねえ。奴らが聞いたら怒るよ?」 そう言って、両腕を上げたまま身体を大きく前後に揺らしたかと思うと 男は「えいっ」という掛け声と共に前方に飛び出して、空いていたベッドの上に着地した。 見た目にはそれなりの衝撃がありそうなのに、ベッドからは軋む音ひとつしない。 ふざけたようにポーズをとって「十点」などと呟いている男に向かって、僕は言葉を投げる。 「何しにきたんだよ」 「何って、俺が人様の家にあがる目的は一つでしょうよ。知ってる癖に」 笑いながら傍にあった枕に手を伸ばして、男はベッドに腰を下ろす。すぐ降りるつもりはないらしい。 「僕はまだ起きてるけど」 「いやあ、あんたいつもこの時間には寝てるからさ、ちょっくらご機嫌伺いにと思ったんだけどね」 へらへら笑う男は自分と同い年か少し上にしか見えないのに、喋り方は妙に老けている。 身に着けているのもあまり見かけない類の服で、強いて言えば作務衣に似ていた。 まだ夜中は肌寒いというのに、寒そうな様子はない。こっちはどてらを着込んでいるというのに。 (見てるこっちが寒い) そんなことを思っていると、男は背筋を伸ばして僕の手元を窺うような仕草をした。 顔にニヤニヤとした笑みが浮かんでいる。 「けどあんたが夜更かしなんて珍しいな。なんだい、いやらしい本でも読んでるのかい」 「試験勉強中だ。邪魔しにきたのなら帰れ」 むっとして机に向き直ると、男が苦笑する気配がした。 「冗談だよ。本当にお前さんはこの手の冗談が通じないな。そういうところは弦一郎にそっくりだ」 弦一郎というのは祖父の名だ。この男は祖父の代からうちを訪れていたらしい。 一体いくつなのかという疑問は、随分前に通り過ぎた。 「もっとにこやかにならないとモテないよ。寡黙なんて今の世は流行りじゃないだろう」 「うるさい」 「けど真面目な話、夜更かしは身体に毒だよ」 その言葉に、男を横目で見る。 彼はベッドの上で胡坐をかき、枕を両腕で抱きかかえていた。 先程の面白がるような笑みは消えていて、妙に真面目な表情をしている。 「勉学に励むのも結構だけど、身体壊しちゃ意味がないと、俺は思うけどねえ」 労わるような目をしているように見えるのは自分の気のせいだろうが、言っていることは至極正論だ。 試験前日の一夜漬けにも限度があることも、寝不足がマイナスに働くことも、自分が一番よくわかっている。 「……もう少しやったら寝るよ」 不承不承頷くと、男は殊勝な表情をすぐひっこめて「そうそう。こっちも商売あがったりだからね」と喜んだ。 そっちか。 「さてと、それじゃあ俺は一旦退散するとしますか」 僕がもう少しで就寝するとわかって満足したのか、男は丁寧に枕を元の位置に戻して立ち上がった。 ぴょんとベッドを飛び降りて、そのまますたすたと部屋のドアの方へ歩いていく。 「天井から帰るんじゃないのかよ」 予想外の動きに思わずそう訊くと、男はドアの手前でこちらを振り返った。 「せっかく来たし、たまには弦一郎に挨拶でもしようと思ってね」 「え」 「駄目?」 許しを請うように首を傾げたその顔に、僕は一瞬言葉に詰まる。 しかしすぐになんでもないように装って「別にいいけど」と答えることができた。 「ただし、父さんと母さんを起こさないでくれよ。もう寝てるんだから」 ぶっきらぼうにそう付け加えたのは、自分でも不思議なほど動揺していたのを隠すためだったが、 男は特に突っ込んではこない。 「ご安心を。人を起こすのは俺の本分じゃないさ」 ただそう言い残して、男はドアを開けることなく部屋から消えていった。 部屋がしんと静かになる。 僕は少し迷って、結局再び机に向き直った。だが、問題集の内容は頭に入ってこない。 さっき「駄目か」と訊いてきた男の顔は笑ってはいたが、その目は酷く寂しそうに見えた。 あれも自分の気のせいだろうか。それとも、本心からあんな表情を浮かべることがあるのだろうか。 人が寝ている間に枕元に現れて、枕を弄んで、気付かれないまま去っていく――そんな性分のやつでも。 祖父が亡くなってもうすぐ一年経つ。 あの男が自分の前に姿を見せるようになってからも、もうすぐ一年だ。 (あいつも寂しいとか、思うことあるのかな) それから数十分後には、僕は勉強を切り上げてベッドに入ったのだが、 そんなことをぐるぐると考えてしまいなかなか寝付くことが出来ず。 結局、その夜『枕返し』は出なかった。 二日後の朝に、リベンジのごとく現れたことを知ることになるのだけど。 ----   [[お前に愛されたい>23-699]] ----
枕返し ---- 「あれま、まだ起きてんのか」 深夜。能天気な声が頭上から聞こえてきて、僕は机の上の問題集から顔をあげた。 振り返ると、男が一人、まるで鉄棒にぶら下がっているかのように天井から釣り下がっている。 男の腕は天井を透過していて、その先の手までは見えない。天井裏の梁にでも掴まっているのだろうか。 ものすごく異様な光景だが、僕は動じない。もう慣れたからだ。 黙ったままの僕に痺れを切らしたのか、男は場の空気を取り繕うようににかっと笑った。 「いやはやどうも。なんかよーかい?」 「……それはこっちのセリフ」 僕は溜息をついた。 「いつから天井下りに転職したんだよ」 問えば、男は更に愉快そうに笑う。 「天井から下がれば天井下りだろうなんて、安直だねえ。奴らが聞いたら怒るよ?」 そう言って、両腕を上げたまま身体を大きく前後に揺らしたかと思うと 男は「えいっ」という掛け声と共に前方に飛び出して、空いていたベッドの上に着地した。 見た目にはそれなりの衝撃がありそうなのに、ベッドからは軋む音ひとつしない。 ふざけたようにポーズをとって「十点」などと呟いている男に向かって、僕は言葉を投げる。 「何しにきたんだよ」 「何って、俺が人様の家にあがる目的は一つでしょうよ。知ってる癖に」 笑いながら傍にあった枕に手を伸ばして、男はベッドに腰を下ろす。すぐ降りるつもりはないらしい。 「僕はまだ起きてるけど」 「いやあ、あんたいつもこの時間には寝てるからさ、ちょっくらご機嫌伺いにと思ったんだけどね」 へらへら笑う男は自分と同い年か少し上にしか見えないのに、喋り方は妙に老けている。 身に着けているのもあまり見かけない類の服で、強いて言えば作務衣に似ていた。 まだ夜中は肌寒いというのに、寒そうな様子はない。こっちはどてらを着込んでいるというのに。 (見てるこっちが寒い) そんなことを思っていると、男は背筋を伸ばして僕の手元を窺うような仕草をした。 顔にニヤニヤとした笑みが浮かんでいる。 「けどあんたが夜更かしなんて珍しいな。なんだい、いやらしい本でも読んでるのかい」 「試験勉強中だ。邪魔しにきたのなら帰れ」 むっとして机に向き直ると、男が苦笑する気配がした。 「冗談だよ。本当にお前さんはこの手の冗談が通じないな。そういうところは弦一郎にそっくりだ」 弦一郎というのは祖父の名だ。この男は祖父の代からうちを訪れていたらしい。 一体いくつなのかという疑問は、随分前に通り過ぎた。 「もっとにこやかにならないとモテないよ。寡黙なんて今の世は流行りじゃないだろう」 「うるさい」 「けど真面目な話、夜更かしは身体に毒だよ」 その言葉に、男を横目で見る。 彼はベッドの上で胡坐をかき、枕を両腕で抱きかかえていた。 先程の面白がるような笑みは消えていて、妙に真面目な表情をしている。 「勉学に励むのも結構だけど、身体壊しちゃ意味がないと、俺は思うけどねえ」 労わるような目をしているように見えるのは自分の気のせいだろうが、言っていることは至極正論だ。 試験前日の一夜漬けにも限度があることも、寝不足がマイナスに働くことも、自分が一番よくわかっている。 「……もう少しやったら寝るよ」 不承不承頷くと、男は殊勝な表情をすぐひっこめて「そうそう。こっちも商売あがったりだからね」と喜んだ。 そっちか。 「さてと、それじゃあ俺は一旦退散するとしますか」 僕がもう少しで就寝するとわかって満足したのか、男は丁寧に枕を元の位置に戻して立ち上がった。 ぴょんとベッドを飛び降りて、そのまますたすたと部屋のドアの方へ歩いていく。 「天井から帰るんじゃないのかよ」 予想外の動きに思わずそう訊くと、男はドアの手前でこちらを振り返った。 「せっかく来たし、たまには弦一郎に挨拶でもしようと思ってね」 「え」 「駄目?」 許しを請うように首を傾げたその顔に、僕は一瞬言葉に詰まる。 しかしすぐになんでもないように装って「別にいいけど」と答えることができた。 「ただし、父さんと母さんを起こさないでくれよ。もう寝てるんだから」 ぶっきらぼうにそう付け加えたのは、自分でも不思議なほど動揺していたのを隠すためだったが、 男は特に突っ込んではこない。 「ご安心を。人を起こすのは俺の本分じゃないさ」 ただそう言い残して、男はドアを開けることなく部屋から消えていった。 部屋がしんと静かになる。 僕は少し迷って、結局再び机に向き直った。だが、問題集の内容は頭に入ってこない。 さっき「駄目か」と訊いてきた男の顔は笑ってはいたが、その目は酷く寂しそうに見えた。 あれも自分の気のせいだろうか。それとも、本心からあんな表情を浮かべることがあるのだろうか。 人が寝ている間に枕元に現れて、枕を弄んで、気付かれないまま去っていく――そんな性分のやつでも。 祖父が亡くなってもうすぐ一年経つ。 あの男が自分の前に姿を見せるようになってからも、もうすぐ一年だ。 (あいつも寂しいとか、思うことあるのかな) それから数十分後には、僕は勉強を切り上げてベッドに入ったのだが、 そんなことをぐるぐると考えてしまいなかなか寝付くことが出来ず。 結局、その夜『枕返し』は出なかった。 二日後の朝に、リベンジのごとく現れたことを知ることになるのだけど。 ----   [[お前に愛されたい>23-699]] ----

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